【まえがき】
 今回の『Basser』過去記事アーカイブは、2001年12月号(No.120)に掲載したB.A.S.S.ツアー2001-2002シーズン第1戦のレポート。スモールマウスレイクとして知られるミシガン州レイク・セントクレアを舞台に、晩夏の8月下旬に開催された試合である。そう、この頃はまだクラシックが夏の開催で、シーズン開幕がその後の8月下旬からというスケジュールだったのだ。

 2001年というと、ESPNによるB.A.S.S.買収が正式に成立したのが同年4月。すなわち、この2001年8月のセントクレア戦は、ESPNによる新体制の下でシーズンインを迎えた初めてのプロシリーズという意味合いがあった。実際、この年の5月まで「トップ150」と呼ばれていたプロシリーズは、8月の新シーズンから「ツアー」と改称され、ESPN主導によるB.A.S.S.の本格的な改造計画がスタートしたのである。

 あれからちょうど10年・・・。

 そのESPNは溜め込んだ赤字に耐えきれずついにB.A.S.S.を手放し、一方、再び独立企業体として再出発することになったB.A.S.S.は新たな経営陣の下で次に進むべき道を模索中である・・・。

 そんな今(2011年の5月下旬)、あらためて10年前の試合レポートを振り返ってみると、実にいろいろなことが見えてくる。まずは記事を読んでいただき、その後で解説を加えてみたい。

 なお、本稿は計28ページに渡る大作のためw

本編16ページ
桐山孝太郎編4ページ
ティム・ホートン編8ページ


の3部に分けてアップする。今日はまず、本編の16ページ分を掲載しよう。



バスマスターツアー2001-2002第1戦
ミシガン州レイクセントクレア
2001年8月22日~25日

「デイビー・ハイト 最終日の大逆転劇」
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photo by OGA

バスマスターズクラシックの余韻に浸る間もなく、B.A.S.S.の2001-2002シーズンが始まった。
米国スポーツTVネットワークESPN主導による新体制の下、「トップ150」は「バスマスターツアー」として生まれ変わり、その第1戦がミシガン州レイクセントクレアで開催された。
新しいシーズンの幕開けを飾り、優勝賞金11万ドル(約13,200,000円)を手にしたのは、決勝で大逆転に成功したデイビー・ハイトだった・・・。
今期もまた現地完全生取材で本場の迫力をお届けしよう。



トーナメントウォーター「レイクセントクレア」を分析する
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レイク・セントクレアとレイクエリー西域。2つを結ぶのはデトロイトリバー。

 夏のレイク・セントクレア戦はバスマスター、FLWを通じてここ数年の定番となっており、2年に1度のペースで6月から8月にかけて両方のトーナメントが決まって開催されている。ざっと過去の試合を振り返ってみよう。

 セントクレアにおける最初のブロトーナメントは1994年8月のトップ100戦であったが、この時は地元ミシガン州在住のキム・ストリッカーが61Lb15oz(約28,094g、4日間)で優勝している。その後、4年間のブランクを経て、1999年の夏にはFLWとトップ150の2試合が開催されており、6月のFLWをフロリダのピーター・スリベロスが、8月のトップ150をラリー・ニクソンがそれぞれ優勝している。

 面白いのは、6月のFLW戦の際、2位から4位までがすべて地元であるミシガン州出身のブロで独占されたことである。ちなみに、そのうちの2位はケビン・バンダム(ミシガン州出身)。3位はアート・ファーガソン(ミシガン州出身で、セントクレアでガイドもしている)である。ほぼスモールマウスしかいない上に、水質がとびきりのクリアウォーターというある意味で特殊なフィールドであるため、地元出身者ならではの情報力と慣れが有利に働いたわけである。といっても、結局、優勝したのはフロリダのスリベロスであり、2位のバンダムにしても、3位のファーガソンにしても、ただ単に地元の利点があったことだけが上位入賞の理由ではないのは言うまでもない。

 それは、セントクレア戦におけるラリ一・ニクソン(アーカンソー州出身)の圧倒的な強さという事実によっても証明することができるかもしれない。ニクソンが1999年8月のトップ150戦で優勝していることはすでに触れたが、実は、それに先立つ6月のFLW戦では5位に入っており、さらには、今年(2001年)6月のFLW戦においても優勝を決めているのである。すなわち、セントクレアで開催された過去4回のトーナメントのうち、2回を優勝、1回を5位入賞でフィニッシュしているわけである。この強さは尋常ではない。

 しかも、さらに細かく調べていくと、2回の優勝はそれぞれまったく別の場所をメインエリアとする戦略によって勝ち獲ったものであることに驚かされる。

 1999年のトップ150で優勝した際のメインエリアは、セントクレア本湖を縦断する大型貨物船用航路(セントクレア・カットオフと呼ばれる)のディープドロップオフで、湖の南部に位置していたのだが、2001年のFLW戦で優勝した際のメインエリアは湖の北部に位置するセントクレアリバーのチャネル沖だった。このことが何を意味しているかというと、ニクソンは常に魚が沸いているようなハ二ースポット(もしそのような場所があるとして)に頼った釣りをしているのではなく、各試合ごとにしっかり魚を見つけているということである。当たり前と言えば当たり前のことだが、その誰もが行なっている当たり前のことをしながらこれだけの成績を残しているのだから、やはりラリー・ニクソンの強さは尋常ではない。

 今回のセントクレア戦を取材するにあたり、私は当然ながらニクソンに注目していた。もしやセントクレア戦3度目の優勝というシナリオもありえるのではないかとも考えていたくらいだ。そして、結果は予想通りのものとなった。ニクソンは安定したウエイトを持ち込み続け、3日目にはトーナメントリーダーとなり、優勝にリーチを掛けた状態で決勝に臨んだ。しかし、決勝で待っていたのはまさかの逆転劇。優勝はダークホース的な存在だったデイビー・ハイトが勝ち取った。だが、あわや優勝というニクソンの活躍はセントクレアにおける圧倒的な強さを印象づけるのには充分すぎるほどのものだったと言えるだろう。

 そして、他にも、ケビン・バンダムやピーター・スリベロス、キム・ストリッカーなど、上位陣には下馬評通りのプロの名が連なった。ある意味で、これまでに行なわれたセントクレアでのトーナメントの総決算のような試合だったと言える。

 それでは早速、初日から順に試合の模様を追っていこう。



DAY 1
初日のトップウエイトはケニヨン・ヒル19Lb1oz。
1日15Lb平均が決勝進出の必要条件に!

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初日、ケニヨン・ヒルが持ち込んだブロンズ色のリミット19Lb1oz(約8,647g)はセントクレアというフィールドが持つポテンシャルを証明するビッグウエイトたった。
photo by OGA

 初日は低気圧の接近に伴い、時速20マイル以上の強い南風が吹いた(アメリカでは風力を秒速ではなく、時速で表す。時速20マイルはおよそ秒速9m)。セントクレアのような円形をした平地の巨大湖の場合、どの方角から風が吹いても、ショアライン以外に風裏というものは存在しない。したがって、ひとたび風が吹くと、風向きに関係なく、湖上はどこも荒れてしまう。しかし、ことセントクレアに関して言えば、風が吹いた場合に多くのプロたちが気を揉むのはむしろ、ラフウォーターそのものが及ぼす移動時間の増大や釣りにくさといった2次的な影響ではなく、動きの速いスモールマウスの行動に直接関係してくる風向きのほうである。

 湖を縦断するディープチャネルを除けば、レイク・セントクレアの大部分は17ft程度の水深しかない。その巨大フラットウォーターとも見れる各所に無数のハンプやシャローフラット、あるいはそれに続くドロップオフといった何らかのボトムストラクチャーが散らばっており、スモールマウスはこうしたストラクチャーと常に関係しながら行動し、風向きによって変動する潮流に対応して実に素早くポジショニングを変えていく。動きの速さでは定評のあるスモールマウスだが、ここセントクレアでは、風の影響を受けやすいフラットウォーターが大部分を占めるだけに、よりディープでストラクチャーの変化に富んだリザーバーなどよりも、風向きが及ぼす影響は比較にならないほど大きいのである。

 この点において、南風というのは最悪の風向きと言ってよかった。というのも、上流にあたるヒューロン湖からのカレントは湖の北東端に位置するセントクレアリバーから流れ込み、南西端のデドロイトリバーヘと流れ出している。湖流はこの北東からの強力なカレントと常に連動しているのである。したがって、南から強い風が吹くと、大部分のエリアでこのカレントが弱められるか、あるいは場所によっては完全に止まってしまう。その時にスモールマウスがどう反応するのか。コンテンダーたちにとっては、それが最大の懸案になる。

 初日に19Lb1oz(約8,647g)というスーパーウエイト(信じがたいことだが、5尾ともすべてスモールマウスである。この湖ではラージマウスよりスモールマウスのほうが平均個体重量が重いのだ)を叩き出してトーナメントリーダーとなったケニヨン・ヒル(オクラホマ州出身)は、この日の南風を最も巧くかわし、味方につけたコンテンダーだったと言えるだろう。ヒルの戦略はウイードの点在する水深4~5ftのシャローフラットをスピナーベイトのバーニングメソッド(速引き)で広くカバーしていくというオーソドックスなものだった。同じパターンは他にも多くのコンテンダーたちが行なっていたはずである。では、なぜヒルだけが爆発的なウエイトを持ち帰ることに成功したのか。その秘密はどうやらヒルが釣っていたエリアにあったようだ。

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レイク・セントクレア北部。サウスチャネルから南西に走る線はカナダとの国境だ。

 ヒルのエリアは、湖の北端部、ミドルチャネルのマウス一帯に広がる広大なシャローフラットだった。ヒューロン湖からのカレントを運ぶセントクレアリバーは湖に流れ込む直前で4本の独立したチャネルに枝分かれする。それらのうち、中央を流れているのがミドルチャネルで、北側にはノースチャネルが、南側にはサウスチャネルが並ぶ(サウスチャネルのすぐ南隣には大型船舶用の人工チャネル「セントクレア・カットオフ」が併走する)。

 ヒルが釣ったミドルチャネル沖のシャローフラットは、サウスチャネルのマウス沖に伸びたシーウェイ島によって南側が閉ざされた格好になっており、試合当日は南の風が完全にブロックされていた。すなわち、そのエリアだけがまったくのウインドプロテクトとなり、セントクレアリバーから流れ込むカレントが弱まることなく供給されたのである。

 本来、枝分かれした4本のチャネルのうち、最もカレントが強いのは一番南側を走るセントクレア・カットオフとその北を流れるサウスチャネルなのだが、これらは強い南風をまともに受けてしまうため、カレントが相殺されてしまった。はっきりと断定することはできないが、カットオフ周辺域のカレントが急激に弱まった結果、それを嫌ったスモールマウスのスクールが、唯一力強いカレントを供給していたミドルチャネル周辺に集結したという見方も可能だろう。スモールマウスはそれだけの足の速さを持った魚だと思う。

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過去のセントクレア戦で優勝実績のある2人は、ラリー・ニクソン18位(写真左)、キム・ストリッカー8位(写真右)と下馬評通りの好調なスタートを切った。ニクソンのエリアは不明だったが、ストリッカーは彼のウイニングエリアでもあるセントクレアリバー内で目撃した。
photo by OGA

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DAY 2
スモールマウスを得意とするチップ・ハリソンが1位に急浮上!
3位にはラリー・ニクソンが・・・。

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2日目のリーダーは17Lb14oz(約8,108g)を追加して初日の9位(15Lb13oz)から浮上したインディアナ州出身のチップ・ハリソン。
photo by OGA

 2日目は一転して風が弱まり、風向きも北に変わった(一方、70km以上南に位置するエリー湖方面では、朝のうちは依然として強い南風が吹いていたという報告がある)。天候は曇りで、午後に入ってから晴れ始め、それと同時に風も完全に収まった。初日に比べてコンディションがぐっと安定したことによって、2日目はリミット達成率が上昇し、平均ウエイトも幾分上がった。湖流を相殺する南風という要素が消えたために、本来のカレントが湖に戻ったものと考えられる。

 しかし、この日、一気に順位を上げてきたのは、セントクレアを釣っていたコンテンダーたちではなく、はるか南のビッグレイク、エリー湖までロングドライブを試みたコンテンダーたちだった。

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 たとえば、初日の16Lb10oz(約7,541g)に続いて、この日16Lb5oz(約7,399g)と安定したウエイトをキャッチし、5位から2位に浮上したスコット・ルーク。彼はウエイイン後のインタビューで2日間ともエリー湖で過ごしたことを隠さずに教えてくれたが、エリー湖にある自分のスポットまで辿り着くのに両日とも2時間以上を要したとも語っていた。

 「エリーのスポットまでは55マイル(約88km)の距離なんだけど、昨日や今日の朝みたいに7ttクラスのウネリがあると、移動に掛かる時間は倍どころじゃきかない。その分だけ釣りをできる時間が減るからね。明日はまた風が吹くみたいだけど、なんとかリミットを揃えるのに充分な時間が残るように祈るだけだよ」。

 初日の22位(13Lb14oz)から4位へと一気にジャンプアップしたケビン・ワースもまたエリー湖にエリアを絞り込んでいたコンテンダーのひとりである。ケンタッキー州出身でスモールマウスの釣りを得意とするワースは、2年前に比べてフィッシングプレッシャーが高まっていると同時に、プロたちによるエリアの解析が進んでいるセントクレア本湖を見切り、移動時間などのリスクを承知であえてエリー湖での勝負に賭けたようだ。ワースが2日目に持ち込んだ18Lb4oz(約8,278g)のリミットはもちろんすべてスモールマウスであり、徹底したディープストラクチャーねらいのパターンでキャッチしたということだった。

 この他にも、2日目の段階では明かしていなかったものの、7位のゲーリー・クラインや8位に急浮上してきたケビン・バンダムなども、実はエリー湖を釣っていたことが後の話から判明している。

 このように遠く離れたエリー湖(スタート地点のメトロビーチ州立公園からセントクレアの南端までが約40km、セントクレアとエリー湖を結ぶデトロイトリバーの全長が約27km)をあえてメインエリアとするコンテンダーが増え、しかも彼らが上位に進出した背景には、ケビン・ワースが語ったように、2年前の試合と比べて格段にセントクレアのフィッシングプレッシャーが高まっていることが挙げられる。フィッシングプレッシャーが高まったことによって、勝負のカギを握る4Lbクラスをキャッチできる確率が下がってしまい、勝ちを意識すればするほど、プレッシャーの低いエリー湖でビッグフィッシュに的を絞った戦略を選ぶ必要がでてきたのである。

 だが、これは今回のようなスモールマウスがメインとなる試合ならではの特殊な例だと言えるだろう。6Lb以上の個体数が絶対的に少ないスモールマウスの場合、ラージマウスをターゲットにする試合のように、1日だけのビッグリミットで逃げ切ったり、あるいは逆転したりという展開はまずありえない。したがって、スモールマウスしかねらえないフィールドでの試合では、それなりの個体数が見込める3~4Lbクラス(スモールマウスとしてはビッグフィッシュに当たるサイズ)で毎日リミットを揃えるという展開が最強ということになる。つまり、言い換えれば、そのクラスの魚がプレッシャーなどの理由で釣りにくくなっているエリアでは、試合に勝つことは難しいのである。

 そして、2日目にその最強の展開を成功させたのは、なんと桐山孝太郎だった。詳しくは後のページで紹介しよう。

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写真左から2位のスコット・ルーク、3位のラリー・ニクソン、4位のケビン・ワース。驚くべきことに、ニクソンがまたしても上位に進出してきた。まさかのセントクレア戦3勝というシナリオが一気に現実味を帯びてきた。ニクソンがどのエリアにいるのか、2日目の段階では不明だったが、過去の優勝エリアでないことだけは確かだった。
photo by OGA



2日目のリーダー、チップ・ハリソンをミドルチャネルに発見。

 初日15Lb13oz(約7,172g)、2日目17Lb14oz(約8,108g)と安定したビッグウエイトをキャッチし続けたチップ・ハリソンは、2位に12oz差をつけて2日目のトーナメントリーダーになった、ハリソンはインディアナ州出身のアングラーであることから、セントクレアのようなクリアレイクでのスモールマウスの釣りをそもそも得意としていたが、プラクティス中の釣果は意外にも悲惨なものだった。

 「3日間で6尾しか釣れなかったんだ」。ハリソンは自嘲気味に笑った。「ところが、プラクティス最終日の午後に入ってから、あるエリアを見つけた。スピナーベイトですぐに2Lb半が食ってきて、続けて4Lbクラスをキャッチした。で、それ以上叩かずに翌日の試合のためにセーブした。もちろん、初日は朝からそこへ直行したよ」。

 その結果が初日の15Lb13ozだった。驚いたことに、ハリソンは朝の小1時間で早くもそのウエイトをキャッチしていた。

 「ファーストキャストで5尾くらいの4パウンダーがチェイスしてくるのが見えたんだ」と、ハリソン。最高のスタートを切ったハリソンはその後、翌日以降に備えて一帯をプラクティスしたという。

 「なんせ、その1ヵ所しか持っていなかったからね。ちょっと不安だった」。

 しかし、2日目は初日を上回る17Lb14ozというビッグウエイトを追加した。試合中にねらいうる最大限のビッグフィッシュ(3~4Lb)でリミットを揃えるというスモールマウスの必勝法を、ハリソンはまさしく実践していたわけである。

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注)バックシートのアマチュアアングラー(コ・アングラー)がネットでランディングを手伝う光景というのも、当時ならでは。1999~2002年はB.A.S.S.の歴史の中で例外的にネットの使用が認められた。

 ハリソンのエリアは湖から数マイル上流へ遡ったミドルチャネル内にあった。チャネルの水深は30ftほどあり、ショアラインから30mほどのあたりで急なドロップオフとなっている。その奥は水深3ftのシャローフラットである。シャローには白い砂底の上に所々ウイードパッチが点在しているのが遠くからでも確認できた。ハリソンはドロップオフのやや沖側にボートをポジショニングして、カレントに流されないようエレクトリックモーターをコントロールしながら、少しずつ上流に流していった。

 釣り方はシャローフラット上のウイードパッチをスビナーベイト(ニコルズ・44マグナム3/4oz。カラーはブレードを含めてチャートリュース)とポッパー(レーベル・ホップR)でねらうというものだったが、他にも、セントクレアの定番であるチューブジグ(チューブのジグヘッドリグ。ハリソンが使用していたのはニコルズ・ソルティーマザーチューブ3.5in。カラーはグリー
ンパンプキンwithゴールドフレーク)でドロップエッジ(水深3ftから9ftにかけて)を探るというフィネスも同時進行していった。このあたりの器用さに、スモールマウス慣れした巧さが感じられる。

 「風向きによってカレントの強さに多少の違いが出だのは確かだけど、相当な数の魚が集まっていたんだと思う。リミットを揃えるのに苦労はしなかったよ」。

 おそらく、釣っていたのが南風の影響をほとんど受けないミドルチャネルであったというのも成功の理由のひとつだったに違いない。というのも、セントクレア・カットオフやサウスチャネルでまったく同じパターンを行なっていたコンテンダーたち(ジェイ・イエラスやキム・ストリッカーなど多数)は、ハリソンが体験したような、4Lbクラスが群れでチェイスしてくるよ
うな場面には遭遇していないし、実際の釣果もハリソンほど決定的なものではなかったからである。

 「明日(3日目)も5尾釣る自信はある。プラクティスの時点では、まさか自分がトーナメントをリードすることになるとは思ってもみなかったけどね。今はかなりの自信を持っているよ」。



DAY 3
またしてもラリー・ニクソンが!
はたしてセントクレア戦を再び征するのか!

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ラリー・ニクソンの活躍は2年前のトップ150戦を思い起こさせるものだった。
photo by OGA

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 3日目を終えてリーダーの座についたのはなんとラリー・ニクソンだった。この日、持ち込んだウエイトは17Lb8oz(約7,938g)。ニクソンは初日を14Lb11oz(約6,662g)でスタートしていたが、2日目に17Lb14oz(約8,108g)とウエイトを上げ、3位の位置につけていた。3日目のウエイトは、その勢いに拍車をかけたと言っていいだろう。これによって、3日間のトータルは50Lb1oz(約22,708g)となり、2位との間には1Lb6ozの差が開く結果となった。1Lb6ozの差は決して大差とは言えなかったが、何はともあれ、ニクソンはセントクレア戦3勝という脅威の領域を目指して決勝に進出することになった。

 「昨日(2日目)までは正直言って自信がなかったんだ。今回のエリアは今までに釣ったことがない場所だし、エリアの特性上、安定した結果を期待することはできないって分かっていたからね。でも、今日の釣りで自信が得られたよ。明日もやれる気がする。ただ、明日の決勝では18Lb持ってきたのでは足りないと思うね。誰かが20Lb釣ってきたら終わりだよ」。

 ニクソンはあえて名前を挙げなかったが、彼の言う「誰か」が2位に浮上したデイビー・ハイトであることは間違いなかった。私としても本当のところを言うと、3日目を終えるまで、ハイトはまったくのノーマークだった。2年前のバスマスターズクラシックを優勝して以来、ハイトはずっとスランプ状態が続いていた。まさかそのハイト(サウスキャロライナ州出身)が、しかもスモールマウスがターゲットとなるセントクレアで優勝に絡むアングラーになるとは思ってもいなかったのである。3日目の成績が出揃い、ハイトが今回の試合でビッグウェイトを誰よりも安定してウェイインし続けているという事実に気付き、1Lb6oz差でニクソンに迫っている現実を知った後でも、ハイトが優勝するシナリオはニクソンの自滅以外にはありえないだろうと考えていた。しかし、ハイト自身は逆転優勝を実現させる強いコンフィデンスを実は持っていたのである。

 「チャンスはあると思うんだ。試合が始まる前は、毎日リミットを揃えられるかどうかが何より気掛かりだった。見つけたエリアでクオリティーフィッシュをねらえることは分かっていたんだけど、はたして数が揃うのか心配だった。でも、蓋を開けてみたら、現にこうして3日間リミットを揃えている。だから、明日(決勝)も5尾釣ることができれば、優勝するチャンスはあると思っているよ」。

 ハイトのエリアは国境を越えたカナダ内にあるようだった。詳しいパターンの内容はまだ明かされなかったが、シャローをスピナーベイトとソフトジャークベイト中心で釣っているとだけ教えてくれた。

 3位のスポットにはエリー湖を釣っているスコット・ルークが入った。ルークはこの日、エンジントラブルで約半分の時間を失ってしまったが、トラブルに見舞われる前にキャッチしていた14Lb7oz(約6,549g)のリミットに救われ、前日から順位を1つ落としただけの軽傷で最終日に駒を進めることに成功した。

 4位に入ったのはやはりエリー湖を釣っているゲーリー・クラインだった。

 「この試合はニクソンが勝つだろうね。今の自分のウエイトから彼を抜くのは非常に難しい。今日自分が持ち込んだリミットに5パウンダーを2尾混ぜることができれば、可能性はあるけどね(笑)」。

 2日目のリーダー、チップ・ハリソンはこの日11Lb14oz(約5,386g)とウエイトを落とし、5位まで順位を下げた。

 「今日は1/2ozのジグヘッドがすぐに流されてしまうくらいカレントが強かった。北東風に変わったために、カレントに勢いがついたんだと思う。結局、あの場所でリミットを揃えることはできなかった。幸い、本湖に移動して別のパターンを見つけたんで、なんとか切り抜けることができた」。

 6位には、沖のハンプをクランクベイトで釣ったピーター・スリベロスが入ってきた。2年前のFLW戦を優勝しているだけに、納得の結果である。

 そして、7位には桐山孝太郎が入った。2日目のトップウエイトを叩き出した桐山はこの日、再びエリー湖へ走って15Lb9oz(約7,059g)を追加し、自己初となるバスマスターツアー(旧トップ150)での決勝進出を果たした。

 以下、8位は3日間ラージマウスだけをウエイインしたトム・バーンズ。9位はエリー湖を釣ったケビン・バンダム。10位はデトロイトリバー内を釣ったビル・ウィルコックスが入った。こうして決勝に進出した10名を顔ぶれをあらためて眺めると、下馬評に名前の挙がっていたプロが少なからず含まれていることに驚かされる。

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決勝に駒を進めた上位10名の顔ぶれ。桐山孝太郎の姿もある。
photo by OGA

 決勝日の予報は晴れ。時速20マイル近い東風が吹くとも予報されていた。まさかの大逆転劇が現実のものとなった決勝。ニクソンにいったい何が起きたのか……。



360度の水平線。
ラリー・ニクソンはメインレイクのド真ん中にいた。

 私がラリー・ニクソンの釣りを見たのは3日目だった。ニクソンがどこにいるのかは2日目を終えた段階では謎であり、3位に急浮上したニクソンをTVクルーが追いかける必要に迫られた3日目の朝になって初めて、その場所が明らかにされた。早速、情報を入手した私はプレスボートに乗り込み、ニクソンの航跡を追ったわけだが、そのエリアは実に予想だにしない、とんでもない場所にあった。

 360度の水平線に囲まれたレイク・セントクレアのほぼド真ん中。ショアラインの影はおろか、他のボートさえ見当たらないまったくの無名水域に、ラリー・ニクソンのストラトスは波に翻弄されながらボツリと浮いていた。

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目印となるものは何もない。約50m問隔で打った2湖のマーカーブイが頼りなげに浮いていた。

 魚探で調べても、特にストラクチャーがあるわけでもなく、水深17ftのフラットがどこまでも続いているように見える。ニクソンは3日目のインタビューのなかで、「今日になってようやくエリアに対する自信が得られた」と語ったが、たしかに、この漠然と広がるフラットウォーターに対して自信を持つには、それなりの時間が必要になるだろう。

 ニクソンが使っていたのはチューブジグだった。1/4ozヘッドをメインに、強風のコンディションでは3/4ozヘッドも使ったという。使い方はズル引きに不規則なホッピングを加えたもの。釣り方に特別な秘密があるわけではない。

 「たしかに、あそこはただの広大なフラットだよ(笑)。でも、ほんの一角だけイールグラスに似た細長いウイードが生えているんだ。密度がとても薄いし、100 m四方の狭い範囲だから、ちょっとソナーをかけただけでは気付かない。だけど、スモールマウスはそこに集まってくるんだ。プラクティスでは、もちろん、過去に実績のあった場所もチェックしてみた。でも、どこもプレッシャーで漬れてしまっていた。だから、とにかく新しい場所、まだ誰も知らない場所を見つけなくてはならなかった」。

 またしてもラリー・ニクソンの底力を思い知らされた………



FINAL DAY
デイビー・ハイト優勝!!
新しいシーズンの幕開けを飾ったのは、
1999年のクラシック優勝後、不調に喘いでいたデイビー・ハイトだった。

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photo by OGA

 最終日のウエイインステージヘ向かうニクソンの足取りは重かった。この日、例のフラットから魚の気配はすっかり消えていた。ネクストキャストに期待しながら時間が経過していくうちに戦略を変更するキッカケを失い、スモールフィッシュを3尾キャッチしただけでストップフィッシングの時刻を迎えてしまったのである。

 もともとここでのバイトが散発的だったことを考えると、たとえ2時間ノーバイトが続いたとしても、大きく戦略を変更する理由にはならない。なぜなら、次の1投で4Lbフィッシュがバイトする可能性を完全に否定することができないからである。しかし、何らかの要因によって足の速いスモールマウスがあのフラットから突然姿を消してしまうこともまた充分に起こりえる展開だった。

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3日目まで安定したウエイトを持ち込んでいただけに、ニクソンの失速に人々は目を疑った。
photo by OGA

 一方、2位のポジションから逆転をねらっていたデイビー・ハイトは、それ以上ない最高のスタートを切っていた。朝一番でハイトが向かったのは、セントクレアリバー内にあるシャローバンクだった。ハイトにとって、そこは最低限のウエイトを稼ぐための単なるバックアップエリアにすぎなかったが、開始からわずか20分の間に、4パウンダーを含む4尾のキーパーをキャッチすることに成功。精神的な余裕を持ってメインエリアに向かうことができた。

 ハイトのメインエリアは湖の北東部、カナダ領内にあった。岬状に伸びた水深3~6ftの広大なフラットには、パッチ状のウイードが豊富に点在しており、フォールパターンに移行しつつあるこの時期のスモールマウスを呼び寄せる最適の条件を備えていた。メインに使用したのは1/2 ozホグコーラースピナーベイト(ゴールドのコロラドウイロー、シャッドカラー)とギャンブラー・ジャンピングシャッドの2つ。

 驚くのは、朝8時の段階で、ハイトが早くも推定14Lbのリミットをライブウェルに収めていたということである。つまり、ハイトはすでにこの時点で優勝を決めてしまっていたのである。ハイトがウエイインした19Lb6oz(約8,788g)というビッグウエイトは、仮にニクソンが17Lb15ozを持ち帰ったとしても逆転に成功してしまうほど圧倒的なものだった。

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【あとがき】
 優勝したデイビー・ハイトのメインエリアというのは、セントクレア・カットオフより東側に位置する、セントクレアリバーの分流が注ぎ込むシャローフラットだった。水深3~6ftのグラスフラットにスモールマウスのスクールが入ってくるという状況は、日本のバサーにはなかなか実感が湧きにくいかもしれない。しかも、使うルアーはスピナーベイトとソフトジャーク。似たような状況では、他にポッパー等のトップウォーターを使う選手も多かった。ドロップショットを使えば食うとか、そういう話ではなく、スクールをいかに見つけるかというむしろハンティングに近い世界。

 当時、自分にはウイニングエリアやウイニングパターンをどこまでディスクローズするべきか(事実をどこまで詳細に明かすべきか)という部分に迷いがあり、試合によっては意図的に濁した書き方をしていた。というのも、ESPN以前の「The Bassmaster(TV番組)」は具体的なスポットを明かしたりはしていなかったし、当時はまだ試合結果の詳細を毎日レポートする専門ウェブサイトも存在していなかったからだ。

 日本人選手が徐々に成績を出し始める中で、日本の専門誌にレポートを書く記者として、アメリカの選手に対する「フェアネス(公平さ)」を意識せざるをえない場面が度々あったのは事実。日本の雑誌に詳細な記事を掲載することが図らずも日本人選手への情報提供につながってしまう以上、ウイニングエリアの位置などを具体的に記すことにはやはり抵抗があった。また、日本人選手サイドとしても、雑誌で上位陣のスポットが紹介されてしまえば、次の機会にその場所へ行きにくくなり、結果的に戦略の幅が狭められることも考えられた。そんな諸事情から、読者にとって必ずしも必要とは思われない過剰な詳細は書くべきではないというのが自分の考えであった。

 しかしながら、やがてESPNが番組内で上位者のスポットを地図まで使って細かく紹介し始めるようになり、そうした気遣いもまったく意味のないものになってしまった・・・

 ちなみに、このセントクレア戦の最終日(決勝)、自分は7位でファイナル進出を果たした桐山選手に同船していた。その時の記事は次回にアップする予定だ。

 最後にもう一点。この2001年8月下旬のセントクレア戦に関して、どうしても触れておかねばならないことがある。それは、このセントクレア戦が「セプテンバー・イレブン」の前に開催された最後のトーナメントであったという点だ。

 8月25日にセントクレア戦の取材を終えた自分は、その後、ニューヨーク州のレイクシャンプレインに入った。シャンプレインでは9月12日からFLWチャンピオンシップが行われる予定だった。翌週には同じNY州セントローレンスリバーでバスマスターツアー第2戦も予定されていた。FLWチャンピオンシップのほうは完全な中止となり、ツアー第2戦は12月のフロリダに代えられた。あの「セプテンバー・イレブン」という事件がアメリカのプロツアーに及ぼした直接的な影響は、ちょうどNY州で予定されていたそれら2つの試合がキャンセルされたこと。ただそれだけだったと、少なくともデータの上ではそういうことになるだろう。

 しかし、現実には、あの日を境にアメリカのトーナメントは大きく変わった。正確には、トーナメントが変わったのではなく、アメリカという国が、そしてアメリカに住む人々があの凄惨な事件の生々しい記憶から逃れられなくなってしまったのだ。

 その意味において、2001年8月下旬という「事件」の直前に図らずも開催されたこのレイクセントクレア戦は、かつての古き良き時代の終焉を象徴する試合でもあったのだと言えるかもしれない・・・。