あくまでも取材メモとして当時のミニDVカメラで撮った動画なので、画質は悪いし、手ブレもしまくりである。ただ、現場の臨場感みたいなものはあるような気が‥‥? まずはビデオを先にご覧いただこう。

長さが約1時間ほどあるので、5分割してある。大きなサイズで観たい方は、YouTubeの「秘密のアマケンビデオ」のほうへ。

もしも試合の記事をまだ読んでなければ、それらを先に読んでからのほうが楽しめるかもしれない。関連記事は以下の3本。

01年12月号:ツアー2001-02第1戦レイクセントクレア
01年12月号:桐山孝太郎@ツアー2001-02第1戦
01年12月号:ティム・ホートン@ツアー2001-02第1戦



2001年8月22日~25日
バスマスターツアー第1戦
ミシガン州レイクセントクレア

未公開!取材メモ動画パート1



未公開!取材メモ動画パート2



未公開!取材メモ動画パート3



未公開!取材メモ動画パート4



未公開!取材メモ動画パート5





【あとがき】
 この時のセントクレア戦については、もうこれ以上書き加える必要はないだろう。締めくくりのあとがきとして記しておきたいのは、こういった取材が何によって実現できていたのかという部分だ。というのも、それを明らかにすることが、米国プロツアーに関わるすべての日本人にとっての状況改善に役立つのではないかと考えるからだ。

 1998年に本格的にB.A.S.S.の取材を始めるようになってからというもの、試合の最終日に希望する選手(1~3位の上位選手は除く)と同船取材できるというのが自分にとっての大きなモチベーションになっていたが、メディア企業であるESPNがB.A.S.S.を買い取り、番組制作に本腰を入れ始めるようになって以降は、当然ながらそれも次第に難しくなっていった。現場に投入するテレビカメラの台数が増えるにつれ、同船という形での取材がほぼ不可能になっていき、カメラボート(別艇)から双眼鏡越しに選手を追いかけるスタイルへと取材方法を変えざるをえなくなった。が、そのカメラボートでさえ、エリートが始まった2006年あたりからはESPN内の経費削減のため確実に手配することが難しくなり、事実上、湖上での取材をまともにできないことさえあった。

 そういう意味で言うと、このビデオを撮影していた2001年は、B.A.S.S.を手に入れたばかりのESPNが今後どのようにビジネスを展開していくべきかまだ手探りしていた期間であったがゆえに、自分が好き放題wやれていた最後のシーズンだったことが今になってみるとよく分かる。

 今回紹介した「取材メモ動画」にしても、当時はまだウェブの世界が発展途上で、YouTubeも存在していなかったからこそ撮影が許されたのだと言っていい。実際、エリートシリーズがスタートした2006年以降は、「ある条件」を満たさない限り、報道目的以外の動画撮影はマーシャル(バックシートのオブザーバー)たりとも禁則事項になっている。先日(2011年5月)のエリート選で行ったツイキャスによる生中継も、現状あくまでも「テスト」ということで暫定的に許可が降りているのであって、アレを本格的に始めるためには上述した「ある条件」を満たさなければならない。そして、その「ある条件」を満たす上でのキーパーソンが誰かと言えば、

それは今これを読んでいるアナタに他ならない。

 いくら自分があれこれ動いたとしても、それを望む日本のファンの声がB.A.S.S.に届かなければ、彼らがGOサインを出すことはないからだ。逆に言えば、日本語によるアメリカのトーナメント情報を待ち望む日本のファンの声がそれなりの人数存在することを証明できるなら、彼らにイエスと言わせる方法はいくらでもある。

 あまり昔話ばかりしていても仕方がないが、取材環境という面においては、ちょうど「THE WEEK WITH A PRO」を連載していた2000~2002年の2シーズンが自分にとってのベストだった気がする。FLWとB.A.S.S.の確執が本格化する直前で、トッププロ全員がまだB.A.S.S.に参戦していたという部分も大きかったが(ビデオでも分かるように、ニクソンやイエラスらがまだB.A.S.S.にいた)、何といっても、B.A.S.S.側と選手たちが取材に対して非常に協力的だったというのがもっとも大きかった。

 この時、思い出さなくてはならないのは、アメリカのほとんどの選手たちにとって、日本の雑誌での露出など何ら実利的メリットがないという現実である。日本のメーカーとスポンサー契約を結んでいる一部の選手は別だが、米国内のスポンサーと米国内のファンだけで支えられている大部分のアメリカ人選手にしてみると、日本の雑誌の取材を積極的に受けなければならない理由は皆無だ。同じことはトーナメントを主催するB.A.S.S.に対しても言える。

 それでもなお、2002年あたりまでアメリカ人選手やB.A.S.S.がしっかりと自分の取材の対応をしてくれていたのは、彼らがまださほど忙しくなかったのと、日本という市場に潜在的な可能性を見ていたからだろう。日本には米国市場を席巻する大手釣り具メーカーがあるわけだし、日本の自動車メーカーに対しても、常に大きな期待感を抱いていた。その期待感=スポンサーしてくれるかもしれないという潜在的な可能性があったからこそ、笑顔で取材を受けてくれたのである。

 が、状況は2002年の夏あたりから急変した。デフレ不況から立ち直れない日本経済を尻目に、アメリカは国内不動産市場の活況によって好景気に湧いた。プロトーナメントの世界にも、一般企業がこぞって参入するようになり、選手たちのスポンサー契約金もまた跳ね上がった。

 困ったことに、その契約金の急上昇が、それまで何とか米国人選手たちとのスタッフ契約を続けていた一部の日本メーカーをトーナメントから撤退させる一因になってしまったことだ。好景気に湧く米国市場とは裏腹にリストラを敢行した日本メーカーの姿は、多くのアメリカ人選手たちに日本を見切らせる契機になった。むろん、2002年以降に米国市場に進出した日本の釣り具メーカーもあったわけだが、マネーを貸し付けたくて仕方がない銀行を味方につけたアメリカ企業がゴロゴロしている中にあっては、日本の釣り具メーカーが契約金額でより魅力的な数字を出すことは難しかった。アメリカ国内の景気が上向けば上向くほど、米国内におけるジャパンマネーの存在感が薄れていったというのは、なにもトーナメントの世界に限ったことではなく、2002年以降の二国間経済におけるひとつの傾向であったと言える。

 かくして、ESPNに吸収されたB.A.S.S.は2002年以降、組織としてのかつてない拡大路線と反比例するかのように、日本への見切りと無視(まさしくジャパンパッシング)を加速していった。例えば、日本で放送されているバスマスターの番組を観ている人なら思い当たるフシがあるはずだ。日本人選手が決勝に勝ち残っているのに、なぜテレビカメラは同船していないのか?と。その答えは実にシンプルで、日本人選手たちがB.A.S.S.の公式スポンサー(たとえば、以前ならCITGOやBUSCH、今ならトヨタなど)と結びついていないからだ。つまり、もしもトヨタが日本人選手の誰かとプロ契約を結んでいたなら、その選手はおそらくアイクやバンダムなみに何かとESPNによってフィーチャーされていただろう。これは反対に、日本人選手と契約している企業が新たにB.A.S.S.の公式スポンサーに加わるというのでも同じである。

つまりは、こういうことだ。

米国プロトーナメントにおける日本人選手の活躍が発展的に持続していくために必要な要素
1:選手個人のコンペティターとしての実力
2:日本のファンの応援
3:日本企業のトーナメントへの参入(公式スポンサー)
4:日本のメディアでの取り扱い

 難しいのは、前述したように、これら4つの要素のうちたったひとつでも欠けてしまうと、何もかもがうまく回らなくなってしまうことだ。たとえば、ファンの応援が少なければ、企業の参入も期待できないし、メディアでの取り扱いも減るだろう。また、選手にコンペティターとしての魅力がなければ、ファンも応援する気持ちが湧かないはずだ。このように、たったひとつ欠けただけでも、日本人選手の活躍が発展的に持続していくことは難しくなる。ところが、過去10年間を振り返ってみると、1が証明されただけで、他の2~4はいずれも明らかにパワー不足だった(日本人選手の実力はすでに数々の優勝によって証明されている)。

 しかし、時代は巡り巡って、昨年あたりから米国プロツアーの世界は風向きがまた変わり始めている。ESPNがB.A.S.S.を手放し、B.A.S.S.は新しいオーナーのもと、独立企業体として再出発を始めた。2008年以来、真っ逆さまに落ち込んだアメリカ経済は復活の兆しもなく、B.A.S.S.に新しい公式スポンサーが付くといった景気のいい話はほとんど聞かれなくなった。B.A.S.S.はたしかに袋小路に陥っているように見えるが、この状況はむしろ我々日本人(1~4の全員)にとってはチャンスとも言える。日本の企業は今ならバブル期(2002~2008年)よりずっと低コストでトーナメントに参入することができるだろうし、メディアやファンはここ数年で急速に発達した情報技術の恩恵を受けることができる。

 B.A.S.S.をヘレン・サビアから高値買いしたESPNは、「バスフィッシングトーナメントを真のプロスポーツに育てる」と言って10年間その努力を続け、最後は手放した。そのことははたしてトーナメントが真のプロスポーツたりえないことを意味しているのだろうか‥‥。

 この問いに対する自分の答えはこうだ。

 そのことを願い、行動する人々が減ってしまわない限り、それは常に未来の実現へ向けて進歩し続けているはずだ、と。