2011年06月

B.A.S.S.オールスター戦ファン投票!戦況報告6/29

先週の21日(火曜)から始まったB.A.S.S.オールスター戦ファン投票!
今日で9日が経ちました。
B.A.S.S.公式サイトでは、写真スライドショーというさりげない形で現時点での中間結果が発表されてます。
暫定順位は以下の通り。

REGION 1
1位:マイク・アイコネリ
2位:ショウ・グリズビー
3位:清水盛三
4位:ボビー・レーン
5位:チャーリー・ハートレー

REGION 2
1位:デニー・ブラウワー
2位:ジェフ・クリート
3位:リック・クラン
4位:トミー・ビッフル
5位:ジョナサン・バンダム

REGION 3
1位:アーロン・マーテンス
2位:ティミー・ホートン
3位:グレッグ・ハックニー
4位:桐山孝太郎
5位:デビッド・ウォーカー

REGION 4
1位:スキート・リース
2位:アルトン・ジョーンズ
3位:ブランドン・パラニューク
4位:イッシュ・モンロー
5位:大森貴洋


マズイですね・・・
かな~りヤバイ状態・・・
どの地区でも日本人選手は2位にさえ届いていない・・・
方や、アメリカ人スター選手の圧勝!
さすがファン人口55万人!と言われる米国バスフィッシング!
層の厚みが違う!!
などと感心している場合ではないようです。
以下、各地区ごとに対策を考えてみましょう!

まずREGION 1はトップがアイク。
下馬評通りですね。
以前の記事で、REGION 1ではアイクにアメリカ人票が集中するので強敵だと書きました。
おそらく、2位のショウ・グリズビーとの間にはかなり得票差が開いているはず。
となると
現状3位の清水盛三選手を1位へ浮上させるには、これまでの2倍以上のペースで投票する必要があるかもしれません。

ステージで雄叫びをあげる盛三選手↓
2011vote_morizo_001

どうでしょう。
オールスター戦のステージでこんな雄叫びをあげる盛三選手を見てみたくはないですか?
そのためには、投票する人の数を増やすことしかありません。
情報拡散ですね。

REGION 2に関しては日本人選手がいないので省略します。
でも、1位デニー、3位リックは納得なんですが、
2位のジェフ・クリートは意外でしたw
知人友人たちによる組織票でしょうか?

で、REGION 3ですが
桐山選手が4位という途中結果・・・
これは正直ガッカリしました。

REGION 3には、圧倒的な人気のスター選手がいないので、アメリカ人票が割れるだろうと自分は予想してました。
で、皆さんの票を一身に得ることができるであろう桐山選手はトップを取れるのではないか、と。
オールスター戦に出場できる可能性が一番高いのが桐山選手だろうと密かに思っていたのですが・・・

2011vote_kiriyama_001
↑アラバマ在住でディープフィネスが得意な桐山孝太郎選手。

いいですか、皆さん!
よく聞いてください。
今回オールスター戦が開催される7月下旬のアラバマ州レイクジョーダンとアラバマリバー。
過去2年まったく同じ場所でポストシーズン戦が行なわれてきましたが、
ここでもっとも実力を発揮できる可能性が高い日本人選手は誰だと思いますか?
自分の見立てでは、それは桐山選手です。
なぜなら、レイクジョーダンでもアラバマリバーでもディープストラクチャーの釣りがキーになるからです。
他にもイロイロあります。
コレ詳しく書き出すと、それだけで記事になってしまうんですが
より正確に言えば、レイクジョーダンで強いと思われるのが桐山選手。
第二部のアラバマリバー戦で強いと思われるのが清水盛三選手です。

このあたり、よーく考えて投票してください。

それと
これは自分の推測ですが、REGION 3の上位4名の得票差はまだそれほど開いていないはずです。
投票締め切りまで残り11日。
現在4位につけている桐山選手ですが、まだ充分に逆転のチャンスは残されていると考えます。

ハイ!最後はREGION 4!
ココね・・・
スキートの1位はまぁ仕方ないでしょうね・・・
おそらく断トツ人気で、2位のアルトンとの間にすでに相当な票差があると見ていいでしょう。

意外だったのは、大森貴洋選手が5位だったこと。
3位は確実!もしかすると2位?なんて予想していたのですが・・・

2011vote_omori_001
↑今回オールスター戦に出場できたら、日本語ブログを始めると約束した大森貴洋選手

大森選手、7月はF1観戦にヨーロッパへ行く予定ですが、
オールスター戦出場が決まれば、急遽そのために戻ってくると言ってます。
が、このままだと、英国GPだけでなく、ドイツGPまで長期滞在することになるでしょうw
大森貴洋の7月の予定を変えられるのは、皆さんだけです!

というわけで
このままいくと、日本人選手は誰一人オールスター戦に出場できません!

おそらく、今これを読んでいる方は毎日の投票を欠かさず実行されてきたはず。
それでも票が足りていないという現実・・・
つまり、投票する人の数が絶対的に足りていない!ということになります。
今必要なのは、投票する人の数を増やすこと、です!
今コレを読んでいる皆さんがブログや掲示板、ソーシャルネットワーク等を通じて情報拡散することです!

投票方法については、今後も(おそらく最後までw)Bプランを続行です。
日本に住んでいるファンが投票できる方法は現状この「Bプラン」しかないのが現実。

「Bプラン」での投票方法はコチラにまとめてあります。

「Bプラン」って何?という方はコチラ

オールスター戦に日本のファンが投票することの意義についてはコチラを読んでください。

健闘を祈る!

B.A.S.S.オールスター戦「Bプラン」投票マニュアル

「Bプラン」での投票方法をマニュアル化しました。
登録から投票完了まで実際の画像で説明します。

なお、
「Bプラン」実行決定に至るまでの背景についてはコチラ

また、
今回のオールスター戦ファン投票に参加することの意義等についてはコチラ
を読んでください。

「Bプラン」投票マニュアル!
1)B.A.S.S.オールスター戦ファン投票ページに飛ぶ!
↑クリックで飛びます!
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初めての人はまず左下のREGISTER(登録)ボタンを押して、ユーザー名等の必要事項を登録します。

2回目以降は、右隣りのLOGINボタンを押せばOK。
ユーザー名とパスワードだけで投票画面が表示されます。

2)登録画面で必要事項を記入!
↓クリックで拡大表示
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必要事項は以下の通り。
 *Username(ユーザー名)>半角英数のみ(記号不可)で最大25字
 *Password(パスワード)>半角英数のみ3~20字
 *Verified Password(パスワード確認)>上記パスワードの再入力
 *First Name(名前)>ローマ字で下の名前を入力
 *last Name(名字)>ローマ字で名字を入力
 *Email(Eメールアドレス)>自分のメアドを入力
 *Birthdate(誕生日)>自分の誕生日を選択
 *Physical Address(住所)>ローマ字(半角英数)で、番地、町名、市区町村の順に入力
 *City(都市名)都道府県名の後に、必ず「JAPAN」と入力!
 *State(州)ハワイ(Hawaii)州を選択
 *ZIP code(郵便番号)「00000」(ゼロを5つ)と入力。
 *Phone Number(電話番号)>3桁-3桁-4桁であればOK


★重要なのは、
City欄に「JAPAN」と入力すること
州名の選択を「Hawaii(HI)」にすること
郵便番号を「00000」にすること

この3点です!

(注1)スパム防止用の画像認証は、表示された変形英数字を入力するものですが、時に判別不可能な文字列が出ることもあります。その場合は、入力スペースの右にあるリロードボタン(矢印が弧を描いているマーク)を押せば、別の文字列を表示させることができます。

(注2)一番下のチェックは忘れがちなので注意。オフィシャルルールへの同意です。

記入漏れなど確認して、最下段の「SUBMIT」(送信)ボタンを押せば、登録は完了。
登録したメアドに登録完了メールが送信されます。
登録完了と同時に画面が投票ページへ切り替わりますが、メールのリンクからも飛ぶことが可能。

3)投票開始!
コレ↓が投票ページ。クリックで拡大表示
ebb18007.jpg

投票は、4つの地区(REGION)から1人ずつ選手を選ぶ方式です。
↑の画像は、REGION 1の選手が表示された状態。
投票したい選手の写真をクリックすると、右端のホワイトスペースに写真が大きく表示されると同時に、下段の該当する地区選択ボタンにも選手の写真が表示されます。

4)地区ごとに1人選ぶ!
↓画像は、REGION 1~3まで投票を終え、REGION 4の選手が表示された状態。
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5)送信する!
4つの各地区(REGION)で選手を選んだら、右下の送信ボタン(SUBMIT)を押す!
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(注3)4地区すべてで選手を選択(投票)しない限り、SUBMIT(送信)ボタンは表示されないので要注意!

6)投票完了の確認画面
送信ボタンを押した後、この画面↓が表示されれば、投票完了!
オツでした!
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7)2回目以降の投票
2回目からは、ユーザー名とパスワードでログインするだけで、投票ページに入ることができます。

1人1日1回のみ投票可能。

同日内に複数回投票できてしまいますが、カウントされるのは同日の最後の投票のみです。頑張って何度投票しても無効票になるだけなので注意!

毎日、米国東部時間の午後23時59分59秒で〆ます。
日本時間だと午後12時59分59秒です。

投票締め切りは、米国東部時間の7月10日午後23時59分59秒。
日本時間の7月11日午後12時59分59秒です。

B.A.S.S.オールスター戦ファン投票!戦況報告6/22

オールスター戦ファン投票の開始から丸1日が経過しました。

米国在住者以外はREGISTER(登録)できないという問題に始まり、
昨夜0時過ぎ(日本時間午後1時過ぎ)からは投票ページのエラーが発生するなど
次から次に予期せぬ事態に襲われたわけですがw
現在は「Bプラン」での投票は問題なくできている状態です。

登録がまだの方、米国時間6月22日分の投票がまだの方は
また予期せぬ問題が起きぬうちにw 任務遂行をお願いします!

「Bプランって何?」
「どうやって投票すればいいの?」

という方は、まずコチラを読んでください。

加えて
「で、投票することに何の意味があるの?」
「いいことあるの?」

という方は、合わせてコチラも読んでください。
自分が皆さんに伝えたいこと、そして、アメリカのプロツアーで戦っている日本人選手たちの思いを、長文でたっぷり説明しています。

ということで、6/22午後6時現在の戦況報告!

★REGISTER=登録方法に関しては、
Bプラン=「日本人は全員ハワイ在住者だった計画!」を継続します。
Bプランの詳細はコチラ


この作戦はB.A.S.S.が公式にウェブサイト上で認めている方法ではたしかにないわけですが、
だからといって
B.A.S.S.に何の話もせず、皆さんにただゲリラ戦への参加を呼びかけているわけでもありません!
今日もB.A.S.S.幹部と電話で話しました。
彼らは立場上、「Bプラン」を推奨などできませんし、実際にしてもいませんが、
日本のファンにも投票に参加してほしいと本気で思ってくれているのは確か。
そして、我々が実際に投票するために、いくつか工夫をしなければならないことも彼らは知っている。
「Bプラン」で投票された日本人の票はカウントされるでしょう。
現時点では、「Bプラン」での票が無効になる可能性はかなり低いと考えています。

この「Bプラン」に関してもう一点。
社会的責任のある日本のメーカーさんの立場を考えれば、
B.A.S.S.が公式に認めていない方法を大っぴらに宣伝するわけにはいかないという意見も分かります。
自分も後で責任を取れと言われても困りますから、プロモーションするしないは自己責任でお願いします。

このオールスター戦のファン投票という企画自体、自分が6月13日にJM を訪ねた時にはすでに決まってしまっていた。
変更するには遅すぎた。それは事実。
ですから
「じゃあ、もう今回はダメだね」と諦めるのも、たしかにひとつの方法です。
「公式に登録できないんだから、仕方ないよ」と諦めて、次回を待つ。
それもいいでしょう。

でも、その「次回」って、いつ来るのでしょうか?
自分がB.A.S.S.の取材を本格始動して今年で13年経ちますが、この間、B.A.S.S.が日本を振り向いてニッコリ笑ったことなど一度もありません。
あと何年待てば、その日は来ると思いますか?。
これは断言してもいいですが、ただ待っているだけでは、そんな日は絶対にやってきません!
日本にも大勢のファンが存在していて、日本人選手の活躍をアメリカのファンと同様に観戦できる日がいつか来ることを心待ちにしている。
その思いをB.A.S.S.に知らせない限り、そんな日は決してやってこない!
何度も言いますが、これはチャンスなのです!
我々日本人バサーに与えられた絶好のチャンス!

だからこそ
日本からの登録ができなかったくらいで簡単に引き下がるわけにはいかないのです!
今回、日本人ファンの声の大きさをB.A.S.S.にアピールすることができれば、来年のオールスター戦ではきっと、正式に日本人として登録することが可能になるでしょう。
でも、それは今回我々が動かなければ、結局のところ実現しない未来です!

今回投票せずに、何年先になるか分からない、実現するかどうかも分からないその時を待ち続けるのか。
それとも
今できること(=Bプランでの投票)をやって、可能性に満ちた未来を自分の手で引き寄せるか。
それを決める力が与えられているのは、ワタシではない。
アナタです。
これを読んでくれているアナタがどちらを選び、行動するかどうか……。


ここまで来たら、自分にできることはそう多くはありません。
あとは皆さん次第。
皆さんの意志が7月のオールスター戦に奇跡をもたらしたあかつきには、自分は全力で動くことを約束しましょう。

B.A.S.S.オールスター戦ファン投票!作戦会議!

いよいよB.A.S.S.オールスター戦の投票が始まりました!

「オールスター戦?」
「投票って何?」
という方は、まずコチラを読んでください。

B.A.S.S.公式サイトのほうに、投票専用のページが用意されています。
コレです↓
B.A.S.S.オールスター戦投票ページ

だが、しかし!
REGISTER(登録)をクリックして先へ進んでも、
端から米国在住者のみを対象にした登録フォームのため、
州を選択するところに米国外を選ぶ項目が存在せず、日本在住者は登録自体できない状態になっている!
という問題。

まさに、コレですよ!自分が言いたいのは!
こういうことが起こってしまうこの状況こそが、B.A.S.S.における日本人選手の立ち位置を如実に物語っている……。
それを変えようという試みの出端さえも挫かれるというw

でも、「じゃあ、もういいや!」なんて諦めてはいけない!
ここで諦めてしまったら何も変わりません!
ダメでもともと!
やるだけやってダメだったとしても、失うモノなど何もないのです!

今朝のブログエントリーでも書いた通り、今日あちこちに連絡をしまくって、ようやくウェブサイト関連の統括者である幹部の一人と連絡が取れました。
(日曜まで2週連続で試合だったので、皆、休みをとっていた模様)
先方でも問題は認識しているらしく、何らかの対策は考えてはいるようですが、ノンビリそれを待っていては投票できる日数がどんどんと減ってしまいます。
1人1日1回できる投票のチャンス。
それを最大限に有効活用するには1日たりとも無駄にはできない!
そもそも、アメリカのファン数55万人に対して、日本のファン数は1/5にも満たないかもしれないのです!
普通に戦えば、負けてしまう。

というわけで、Bプランを実行に移します!
名付けて
「日本人は全員ハワイ在住者だった計画!」
B.A.S.S.サイドで米国外からの登録が可能になるまでの間、当面はこの「Bプラン」で乗り切ることにしましょう!

ただし!
この作戦、今日話をした幹部にも提案して「名案だね!」という答えをもらってますが、「一応、担当の実務者に確認してみる」とのこと。
今まで(米国東部時間6/21午後7時)返事を待ってましたが、まだ連絡がない状態。
本当は明日の返事を待ってから発表すべきところですが、なにしろ1日のロスが勝負を決めうる差し迫った状況ゆえ、見切り発車で発表することにしました。
つまり、せっかく皆さんに投票してもらっても、無効票になる可能性もなくはない。
「Bプラン」に沿って投票を行う方は、その点を了解してください。

それと、もうひとつ。
作戦の性格上、賞品の当選対象者からも外されてしまう可能性もあるかもしれません。
というのは、投票に参加できる資格者として米国在住者とすでに明記されてしまっているため。
本当は米国在住ではないとなれば、賞品の受け取り資格も剥奪される可能性もありえるでしょう。
なので
「賞品なんてどうでもいい!オレは日本人選手をオールスターに出場させて、日本人選手の政治力構築に貢献したいだけだ!」
そんな男気溢れる方に、ぜひ「Bプラン」への参加をお願いします!

★Bプラン詳細
作戦名:日本人は全員ハワイ在住者だった計画!

1)B.A.S.S.オールスター戦の登録ページに行く

2)登録フォームでは、以下の項目を入力または選択する必要があります。
 *Username(ユーザー名)>半角英数のみ(記号不可)で最大25字
 *Password(パスワード)>半角英数のみ3~20字
 *Verified Password(パスワード確認)>上記パスワードの再入力
 *First Name(名前)>ローマ字で下の名前を入力
 *last Name(名字)>ローマ字で名字を入力
 *Email(Eメールアドレス)>自分のメアドを入力
 *Birthdate(誕生日)>自分の誕生日を選択
 *Physical Address(住所)>ローマ字(半角英数)で、番地、町名、市区町村の順に入力
 *City(都市名)>都道府県名の後に、必ず「JAPAN」と入力!
 *State(州)>ハワイ(Hawaii)州を選択
 *ZIP code(郵便番号)>「00000」(ゼロを5つ)と入力。
 *Phone Number(電話番号)>3桁-3桁-4桁であればOK

実際の登録フォームに入力例を入力した画像↓(クリックで拡大)
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この「Bプラン」の要点は、City欄に「JAPAN」と入力することと、州名の選択を「Hawaii(HI)」にすること、そして、郵便番号を「00000」にすることの3点です。
こうすることで、投票者が日本のファンだとB.A.S.S.側で分かる仕組み。
日本からのアクセス数はアクセス解析で分かるわけですが、「ハワイ」で郵便番号が「00000」の投票者=日本人ファンと特定できる。
B.A.S.S.幹部にも、そう伝えてありますので、日本のファンの底力を思い知らせることができるわけです!フッ

3)投票方法
REGISTER(登録)が無事に終了すると、記入したメアドにB.A.S.S.から確認メールが届きます。
メールに付いているリンクを辿ってもよし、そのままウェブサイト上で移動してもよし。
上部メニューバーの「VOTE(投票)」をクリックすると、いよいよ投票画面に入ります。

こんな↓です。(クリックで拡大)
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投票は4つの地区(region)から1名ずつ選んでいく方式です。
リストの顔写真をクリックすると、下欄に選んだ選手が表示されます。
簡単です。
4地区とも投票(選択)しないと、投票を完了できませんので注意してください。

地区分けはおおよそ次のような感じです。
REGION 1:東部諸州
REGION 2:テキサス以東の中西部
REGION 3:南部諸州
REGION 4:テキサスを含む西部


4名の日本人選手は以下の通りに地区分けされています。
REGION 1:清水盛三
REGION 2:なし
REGION 3:桐山孝太郎
REGION 4:大森貴洋、宮崎友輔


もうお分かりかと思いますが、リージョン4に2人の日本人選手が入っています。
各地区につき1名しか選べませんので、大森選手か宮崎選手のどちらかの二者択一になる。
言い換えれば、リージョン4では皆さんの票が割れることになる。
票が割れる=アメリカ人選手への票に負ける可能性が高くなる。
ということですから、大森選手と宮崎選手の2人は厳しい状況です。

各地区ごとの顔ぶれを見ていくと、アメリカ人ファンが投票するだろう選手が見えてきますよね?
REGION 1:アイコネリの独走?
REGION 2:リック・クラン、デニー・ブラウワー、JVDあたり
REGION 3:アーロン・マーテンス、グレッグ・ハックニーあたり
REGION 4:スキート・リースの独走?

投票する際の参考にしてください。

各地区で投票(プロの選択)して、右下の「SUBMIT」を押すと、このような↓確認画面が出ます。これで投票完了です!
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★作戦遂行のために
a)投票は1人1日につき1回可能!つまり、1人で毎日投票できます。毎日、米国東部時間の午後23時59分59秒に締め切って集計。東部時間の午前0時0分0秒から、また投票が可能になります。ちなみに、米国東部時間午前0時は、日本の午後1時。
b)投票〆切は、米国東部時間の7月10日、午後23時59分59秒。
c)各自、情報拡散に努めること!
d)自身の1票が未来を変えうることを忘れずに!

作戦の変更および戦況に関しては、当ブログとtwitterのほうで随時アップデートする予定!twitterは即時性に優れた使える通信手段なので、まだの人はこの機会にぜひアカウントを作ることをお薦めします!

では、健闘を祈る!

B.A.S.S.オールスター戦投票スタート!

本日からいよいよB.A.S.S.オールスター戦の投票が始まりました!

「オールスター戦?」
「投票って何?」
という方は、まずコチラを読んでください。

B.A.S.S.公式サイトのほうに、投票専用のページが用意されています。
コレです↓
B.A.S.S.オールスター戦投票ページ

ここでまずREGISTER(登録)をクリックして先へ進み、
ユーザー名やパスワード、メアド、住所などを登録しますが、
現在、州を選択するところに、米国外を選ぶ項目が存在しないため、日本在住者は登録自体できない状態になってます。

目下、B.A.S.S.に対応を考えてもらってますので、まだ登録せず(まぁできないわけですが)待っていてください。
詳細が分かり次第、本ブログとtwitterのほうでアップします。

メラメラと熱い思いを胸に、その時を待つのです!

日本人バサーの力を今こそ!

今日は皆さんにお願いがあります。
マジなお願いなので、しっかり聞いて(読んで)ください。
長文ですからw

昨日(6/13)の午前中、自分はリトルロック(アーカンソー州)にあるJMアソシエーツのスタジオに行ってきました。
JMアソシエーツは2000年以来B.A.S.S.のTV番組を制作してきたプロダクションで、その社長であるジェリー・マッキニス(頭文字がJM)が新しいB.A.S.S.の共同経営者(3名)の一人であるということは皆さんもご存知でしょう。
他の2人は、元AOLタイムワーナーのCEOだったドン・ローガンと元ウォール街の金融コンサルタント会社CEOだったジム・コープランドです。
この3名が出資しあってESPNからB.A.S.S.を買い取ったわけです。
それが今のB.A.S.S.。
独立企業体として再出発した新しいB.A.S.S.です。

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ミーティング後、スタジオを案内してもらいました。番組でお馴染みの「Boom!!」で決めポーズw ココでCGのルアーが飛び出すわけですね(^_^)
photo by Seigo Saito

で、その新オーナーの一人であるジェリー・マッキニスが去る5月のエリート戦にやってきていた折、自分は「ある企画の提案」を彼にしました。
彼はまず日本の大震災に触れて、非常に心を痛めていると語ってくれたと同時に、その「提案」にとても関心を示してくれました。
その後、他の幹部の一人を交えて試合現場での簡単な話し合いを幾度かした後、6月のアーカンソーリバー戦の時にJMアソシエーツのスタジオでゆっくり腰を落ち着けて話し合おうということになりました。
そんなわけで、アーカンソーリバー戦が終わった日曜の翌日(昨日)、自分はリトルロックにあるJMアソシエーツ社を訪ねたのです。
社屋の2階にある映画に出てくるようなカッコイイ会議室でJMの幹部たちを前に(やや緊張w)、当ブログやツイキャスの録画などを見せてプレゼンを行ったわけです。

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プレゼン中(;^ω^)
photo by Seigo Saito

自分が彼らに提案した「ある企画」というのは、B.A.S.S.公式ウェブサイト内にただの翻訳(字幕)だけではない日本語コンテンツを作ってほしいというものでした。
日本のファンのニーズ(日本人選手の情報など)に合った独自の日本語コンテンツという意味です。

現状、エリートシリーズだけでも4名(計99人中)の日本人選手が出場しているにもかかわらず、メディアは充分にフォローできていない点を強調しました。
エリートのTV番組(翻訳)は日本でも視聴可能だが、放送までにかなり時差があるのと、日本人選手が露出できるのは彼らが上位に入った時のみ(この点はアメリカ人選手も同様)であって、決して日本のファンの需要を満たすものではないこと。
一方、ウェブサイトのほうも、現状では日本のファンにとっては言葉の壁があること。
ただ、ウェブサイトのほうは日本語化ないし日本語による独自コンテンツを用意すれば面白いものになるだろう、と。
特に、ビデオ配信による「BASS CAM」とライブブログ。
これは大きな可能性を秘めている。
日本語によるBASS CAMの撮影や、あるいは日本語によるライブブログ。
こういったものであれば、自分は協力できるので、喜んで無償でやりますヨ、と。

彼らの反応は非常に良好でしたヽ(^◇^*)/
昔の電波少年風に言うなら、「好感触!」
ESPNがいなくなって、会社がスリムになった分、風通しがよくなったのでしょうか。

つまり、ここ数試合、テストということでやってきたツイキャスと同様の動画配信をB.A.S.S.公式サイトのほうでやれる可能性がある!ということ。
どうですか? コレ!!

で、もしもコレが実現すると、実はいろいろなことが大きく変わってきます。
なにしろ公式サイト内のコンテンツですから、まず取材環境が劇的に改善するでしょう。
今まで無理だったことが可能になるのです。

それだけではありません。
公式サイト内での日本人選手の露出が格段に増えるので、日本人選手と契約するスポンサー企業も大喜び!
その結果として、日本人選手たちの参戦環境は大きく改善されるはずです。

そして、もちろん。
日本にいるファンの皆さんも、日本人選手の勇姿を毎試合、堪能することができる!
アメリカのプロトーナメントに興味を持ってくれる人の数もきっと増えるでしょう。

そしてそして。
大勢の日本のファンがアメリカのプロトーナメントに注目するようになれば、アメリカ市場への参入を真剣に考える日本メーカーが出てきたり、日本人選手やB.A.S.S.への協賛に興味を持つ企業も出てくるかもしれない。
というか、出てきてほしい!

すなわち、日本人選手の「政治力」がついにビルドアップされ始めるわけです!
いよいよAOY獲得への道筋が見えてくる!

政治力?
何ソレ?
という方は、以下のビデオを観てください。
先日アーカンソーリバーで開催されたエリート第7戦の最終日に自分がツイキャス生中継した時の録画です。
日本人選手がエリートシリーズ(トップカテゴリーのプロトーナメント)で勝つために今何よりも必要なもの。
それは「政治力」であるということを、約1時間かけてw実例を挙げながら説明しています。

★2011年6月12日エリート第7戦最終日のツイキャス生中継から
パート1


パート2


さて、
じゃあ、いつからB.A.S.S.公式サイトで日本語コンテンツが始まるのですか?
そんな疑問を皆さんお持ちでしょう。
皆さん、早まらないでください。
自分はただ「ここ数試合、テストということでやってきたツイキャスと同様の動画配信をB.A.S.S.公式サイトのほうでやれる可能性がある!」と言っただけで、まだ決定したわけではないのです。
あくまでもチャンスが与えられたという状態。

リトルロックにあるJMアソシエーツ社(正確にはB.A.S.S.の子会社であるJMアソシエーツ社と言うべきでしょうね)のカッコイイ会議室で幹部の一人が私に言いました。
「日本のファンのいったい何人ぐらいがB.A.S.S.の公式サイトを訪問してくれるのか、まずは様子を見てみたいな」。

来ましたョ! 本音トークが。
向こうもビジネスですから、利益が見込めないおアソビに付き合うほどヒマじゃないわけです。
「そうだ! 7月のオールスター戦。12名のうち4名をオンライン投票の人気度で決めることになってるから、日本人選手に集まった得票数というのはひとつの目安になるだろうね」 by 幹部。

オオッ! そうでした!
忘れてました!
昨年、一昨年はレギュラーシーズン後に開催したポストシーズン戦でAOYを決定しましたが、その方法があまりにも評判が悪かったので、今期AOYは以前のように通常戦だけで決めるやり方に戻すことが決まったのです。
その代わり、当初ポストシーズン戦として予定されていた来月下旬の試合を「オールスター戦」と改称して、エリートシリーズのポイントとは関係のない独立したトーナメントとして開催することになった。
で、そのオールスター戦に出場できるのは計12名。
うち8名が今期エリートシリーズの最終ポイントランキング上位8名。
そして、残り4名がなんと、B.A.S.S.公式サイトで開催されるネット投票の結果で決定されるのです!

極端な話、投票の結果しだいでは、オールスター戦の投票枠4名が、大森貴洋、桐山孝太郎、清水盛三、宮崎友輔の4名になる可能性もなくはない!
12名の出場選手のうち、8名がランキング上位8名、残り4名が日本人選手!
どうでしょう?
ちょっと観てみたくないですか? そんなワクワクする試合を!

でも、黙っていては何も起こりません。
なにしろ一般投票で決まるのですから。
放っておけば、アメリカ人選手ばかりが選ばれるでしょう。
が、一般投票である以上、逆に言えば、上記したように日本人選手ばかりにすることだって可能なのです。
つまり、これは絶好のチャンスなんです!
エリートシリーズで孤軍奮闘している日本人選手に対する日本のファンの皆さんの応援の大きさを証明し、夢を現実にするための!

日本人選手が7月のオールスター戦に行けるか否か。
それを決める力を持っているのは、実は今コレを読んでいるアナタなのです!
アナタ自身が、日本人選手の未来と日本のバスフィッシングの今後を決める。
日本のファンが狂ったように日本人選手に投票すれば、投票枠4名が日本人選手に決定!といった狂った結果wを生み出すことだって可能なのです。


幹部から聞いた話では、1人につき1日1回の制限付きで多重投票も可能だとか。
今こそ日本人バサーの底力をアメリカに示そうではないですか!!
ジャパン・アズ・ナンバー1!
バスの世界記録魚だって日本で釣れたのです!
日本人選手の1人や2人、オールスター戦に送り込むくらいの組織票を集められないはずがない!
オモシロイ!
受けて立とうではないですか!!
アメリカ人バサーとB.A.S.S.幹部たちに「エエッ!? アンビリーバボー!」と一泡吹かせてやるのです!
日本人バサーの力を今こそ結集しようではないですか!

ということで
日本人選手を7月のB.A.S.S.オールスター戦に出場させたい!
日本人選手がいつかAOYを獲得する勇姿を見てみたい!

そんな思いを共有できる方は、以下の実行を各自遂行願います!

1:B.A.S.S.ネット投票での日本人選手への可能な限り多くの投票。
(4名の日本人選手のうち実際に誰に投票するかは各自好きに決めてください)
2:ブログを運営している方、およびtwitterやfacebookなど各種ソーシャルネットワークにアカウントをお持ちの方は、そこでの情報拡散。

ネット投票は来週アタマにもスタートします。
〆切は7月10日(米国時間)。
投票の仕方など詳細はまた当ブログで補足します。

オッと、ひとつ言い忘れてましたが、このネット投票、投票した人に商品が用意されているようです。
まずひとつは、投票者の中から12名に、オールスター戦でプロと同船できる権利をプレゼント!
つまり、マーシャルになれるわけですね。
そして、もうひとつは、フルリグのスキーター!
どれも魅力ある商品ですが、はたして日本在住者が当たった場合はどうなるのかw‥‥
まぁ、そんなことは当たってから考えればいいでしょうw
日本のバスフィッシングの未来に比べれば、たいした問題ではありませんww

皆さんヨロシクお願いいたします!
まずはB.A.S.S.公式サイトをポチッとしてください。
英語が分かるとか分からないじゃなく、日本の皆さんがポチッとやることが重要なのです!
続きを読む

2001年8月レイクセントクレア戦の取材メモ動画

あくまでも取材メモとして当時のミニDVカメラで撮った動画なので、画質は悪いし、手ブレもしまくりである。ただ、現場の臨場感みたいなものはあるような気が‥‥? まずはビデオを先にご覧いただこう。

長さが約1時間ほどあるので、5分割してある。大きなサイズで観たい方は、YouTubeの「秘密のアマケンビデオ」のほうへ。

もしも試合の記事をまだ読んでなければ、それらを先に読んでからのほうが楽しめるかもしれない。関連記事は以下の3本。

01年12月号:ツアー2001-02第1戦レイクセントクレア
01年12月号:桐山孝太郎@ツアー2001-02第1戦
01年12月号:ティム・ホートン@ツアー2001-02第1戦



2001年8月22日~25日
バスマスターツアー第1戦
ミシガン州レイクセントクレア

未公開!取材メモ動画パート1



未公開!取材メモ動画パート2



未公開!取材メモ動画パート3



未公開!取材メモ動画パート4



未公開!取材メモ動画パート5





【あとがき】
 この時のセントクレア戦については、もうこれ以上書き加える必要はないだろう。締めくくりのあとがきとして記しておきたいのは、こういった取材が何によって実現できていたのかという部分だ。というのも、それを明らかにすることが、米国プロツアーに関わるすべての日本人にとっての状況改善に役立つのではないかと考えるからだ。

 1998年に本格的にB.A.S.S.の取材を始めるようになってからというもの、試合の最終日に希望する選手(1~3位の上位選手は除く)と同船取材できるというのが自分にとっての大きなモチベーションになっていたが、メディア企業であるESPNがB.A.S.S.を買い取り、番組制作に本腰を入れ始めるようになって以降は、当然ながらそれも次第に難しくなっていった。現場に投入するテレビカメラの台数が増えるにつれ、同船という形での取材がほぼ不可能になっていき、カメラボート(別艇)から双眼鏡越しに選手を追いかけるスタイルへと取材方法を変えざるをえなくなった。が、そのカメラボートでさえ、エリートが始まった2006年あたりからはESPN内の経費削減のため確実に手配することが難しくなり、事実上、湖上での取材をまともにできないことさえあった。

 そういう意味で言うと、このビデオを撮影していた2001年は、B.A.S.S.を手に入れたばかりのESPNが今後どのようにビジネスを展開していくべきかまだ手探りしていた期間であったがゆえに、自分が好き放題wやれていた最後のシーズンだったことが今になってみるとよく分かる。

 今回紹介した「取材メモ動画」にしても、当時はまだウェブの世界が発展途上で、YouTubeも存在していなかったからこそ撮影が許されたのだと言っていい。実際、エリートシリーズがスタートした2006年以降は、「ある条件」を満たさない限り、報道目的以外の動画撮影はマーシャル(バックシートのオブザーバー)たりとも禁則事項になっている。先日(2011年5月)のエリート選で行ったツイキャスによる生中継も、現状あくまでも「テスト」ということで暫定的に許可が降りているのであって、アレを本格的に始めるためには上述した「ある条件」を満たさなければならない。そして、その「ある条件」を満たす上でのキーパーソンが誰かと言えば、

それは今これを読んでいるアナタに他ならない。

 いくら自分があれこれ動いたとしても、それを望む日本のファンの声がB.A.S.S.に届かなければ、彼らがGOサインを出すことはないからだ。逆に言えば、日本語によるアメリカのトーナメント情報を待ち望む日本のファンの声がそれなりの人数存在することを証明できるなら、彼らにイエスと言わせる方法はいくらでもある。

 あまり昔話ばかりしていても仕方がないが、取材環境という面においては、ちょうど「THE WEEK WITH A PRO」を連載していた2000~2002年の2シーズンが自分にとってのベストだった気がする。FLWとB.A.S.S.の確執が本格化する直前で、トッププロ全員がまだB.A.S.S.に参戦していたという部分も大きかったが(ビデオでも分かるように、ニクソンやイエラスらがまだB.A.S.S.にいた)、何といっても、B.A.S.S.側と選手たちが取材に対して非常に協力的だったというのがもっとも大きかった。

 この時、思い出さなくてはならないのは、アメリカのほとんどの選手たちにとって、日本の雑誌での露出など何ら実利的メリットがないという現実である。日本のメーカーとスポンサー契約を結んでいる一部の選手は別だが、米国内のスポンサーと米国内のファンだけで支えられている大部分のアメリカ人選手にしてみると、日本の雑誌の取材を積極的に受けなければならない理由は皆無だ。同じことはトーナメントを主催するB.A.S.S.に対しても言える。

 それでもなお、2002年あたりまでアメリカ人選手やB.A.S.S.がしっかりと自分の取材の対応をしてくれていたのは、彼らがまださほど忙しくなかったのと、日本という市場に潜在的な可能性を見ていたからだろう。日本には米国市場を席巻する大手釣り具メーカーがあるわけだし、日本の自動車メーカーに対しても、常に大きな期待感を抱いていた。その期待感=スポンサーしてくれるかもしれないという潜在的な可能性があったからこそ、笑顔で取材を受けてくれたのである。

 が、状況は2002年の夏あたりから急変した。デフレ不況から立ち直れない日本経済を尻目に、アメリカは国内不動産市場の活況によって好景気に湧いた。プロトーナメントの世界にも、一般企業がこぞって参入するようになり、選手たちのスポンサー契約金もまた跳ね上がった。

 困ったことに、その契約金の急上昇が、それまで何とか米国人選手たちとのスタッフ契約を続けていた一部の日本メーカーをトーナメントから撤退させる一因になってしまったことだ。好景気に湧く米国市場とは裏腹にリストラを敢行した日本メーカーの姿は、多くのアメリカ人選手たちに日本を見切らせる契機になった。むろん、2002年以降に米国市場に進出した日本の釣り具メーカーもあったわけだが、マネーを貸し付けたくて仕方がない銀行を味方につけたアメリカ企業がゴロゴロしている中にあっては、日本の釣り具メーカーが契約金額でより魅力的な数字を出すことは難しかった。アメリカ国内の景気が上向けば上向くほど、米国内におけるジャパンマネーの存在感が薄れていったというのは、なにもトーナメントの世界に限ったことではなく、2002年以降の二国間経済におけるひとつの傾向であったと言える。

 かくして、ESPNに吸収されたB.A.S.S.は2002年以降、組織としてのかつてない拡大路線と反比例するかのように、日本への見切りと無視(まさしくジャパンパッシング)を加速していった。例えば、日本で放送されているバスマスターの番組を観ている人なら思い当たるフシがあるはずだ。日本人選手が決勝に勝ち残っているのに、なぜテレビカメラは同船していないのか?と。その答えは実にシンプルで、日本人選手たちがB.A.S.S.の公式スポンサー(たとえば、以前ならCITGOやBUSCH、今ならトヨタなど)と結びついていないからだ。つまり、もしもトヨタが日本人選手の誰かとプロ契約を結んでいたなら、その選手はおそらくアイクやバンダムなみに何かとESPNによってフィーチャーされていただろう。これは反対に、日本人選手と契約している企業が新たにB.A.S.S.の公式スポンサーに加わるというのでも同じである。

つまりは、こういうことだ。

米国プロトーナメントにおける日本人選手の活躍が発展的に持続していくために必要な要素
1:選手個人のコンペティターとしての実力
2:日本のファンの応援
3:日本企業のトーナメントへの参入(公式スポンサー)
4:日本のメディアでの取り扱い

 難しいのは、前述したように、これら4つの要素のうちたったひとつでも欠けてしまうと、何もかもがうまく回らなくなってしまうことだ。たとえば、ファンの応援が少なければ、企業の参入も期待できないし、メディアでの取り扱いも減るだろう。また、選手にコンペティターとしての魅力がなければ、ファンも応援する気持ちが湧かないはずだ。このように、たったひとつ欠けただけでも、日本人選手の活躍が発展的に持続していくことは難しくなる。ところが、過去10年間を振り返ってみると、1が証明されただけで、他の2~4はいずれも明らかにパワー不足だった(日本人選手の実力はすでに数々の優勝によって証明されている)。

 しかし、時代は巡り巡って、昨年あたりから米国プロツアーの世界は風向きがまた変わり始めている。ESPNがB.A.S.S.を手放し、B.A.S.S.は新しいオーナーのもと、独立企業体として再出発を始めた。2008年以来、真っ逆さまに落ち込んだアメリカ経済は復活の兆しもなく、B.A.S.S.に新しい公式スポンサーが付くといった景気のいい話はほとんど聞かれなくなった。B.A.S.S.はたしかに袋小路に陥っているように見えるが、この状況はむしろ我々日本人(1~4の全員)にとってはチャンスとも言える。日本の企業は今ならバブル期(2002~2008年)よりずっと低コストでトーナメントに参入することができるだろうし、メディアやファンはここ数年で急速に発達した情報技術の恩恵を受けることができる。

 B.A.S.S.をヘレン・サビアから高値買いしたESPNは、「バスフィッシングトーナメントを真のプロスポーツに育てる」と言って10年間その努力を続け、最後は手放した。そのことははたしてトーナメントが真のプロスポーツたりえないことを意味しているのだろうか‥‥。

 この問いに対する自分の答えはこうだ。

 そのことを願い、行動する人々が減ってしまわない限り、それは常に未来の実現へ向けて進歩し続けているはずだ、と。

01年12月号:ティム・ホートン@ツアー2001-02第1戦

【まえがき】
 2000年夏から2002年初夏までの丸2シーズン、毎回の本戦レポートに加えて「THE WEEK WITH A PRO」という企画を続けていた。「あるプロとの1週間」というタイトル通り、プラクティス段階から試合終了まで特定のアメリカ人選手に密着取材を行い、その選手のプロフィールや戦略に肉迫するという企画だが、実はこれこそが私が長年いつか実現したいと思い続けていた企画だった。ある意味、コレをやるためにB.A.S.S.の取材を始めたのだと言ってもいいだろう。

 その昔、『Basser』で連載していた「TRUE STORY」という記事を覚えているだろうか。アレは毎回フィールドと目標ウエイトを設定して挑戦者に挑んでもらい、そのプロセスをありのままに伝える「ひとりトーナメント・ドキュメンタリー」とも言うべきものだったわけだが、実はあの企画を開始するにあたって(1997年夏)自分が念頭に置いていたのが「米国プロトーナメントを舞台にしたノンフィクション記事」というアイデアであり、それがこの「THE WEEK WITH A PRO」の原案だった。「TRUE STORY」はいわば、そういったノンフィクション的手法がバスフィッシングの世界で現実に可能なのかどうかを確認するための実験という意味合いがあった。なぜ実験する必要があったのかという話を書き出すと長くなってしまいそうなので、それはまたいつか「TRUE STORY」の記事をここで紹介する時にでもあらためて書いてみよう。

 ともかく、この「THE WEEK WITH A PRO」は自分が渡米する前からずっと温めていた企画であり、B.A.S.S.の取材を開始して2年が経った2000年夏にようやく実現のチャンスが訪れた。どうして2年?と思われるかもしれないが、それは取材環境の機が熟すのにどうしても必要な時間だった。B.A.S.S.のプロを取材するために必要な自分自身の知識と経験の蓄積、カメラボートの手配といった現場での取材態勢など、いくつかの必要条件がちょうど揃ったのが取材開始から2年後の2000年夏だったのである。

 その当時は「コレでいよいよ面白いことができるゾ!」と浮かれたものだが、実際には、この「WEEK WITH A PRO」を行うために必要な取材環境はあまり長くは続かなかった。2000年の夏にESPNによるB.A.S.S.買収の噂が流れ、翌2001年4月にそれが現実になると、外部の人間による取材がさりげなく制限されるようになり、しだいに思うような取材ができなくなっていった。

 今回紹介するティム・ホートン編の「THE WEEK WITH A PRO」は、前回前々回の記事と同じ号(No.120)に掲載された記事であり、舞台はやはり2001年8月のB.A.S.S.ツアー第1戦(ミシガン州レイク・セントクレア)である。しだいにキツくなり始めたESPNによる取材制限を背中で感じながら、「まだヤレるか?」と様子を窺いつつ取材を敢行したw。まさかこの2週間後に世界を震撼させる大事件が第2戦の開催地からほんの目と鼻の先で起こるとは‥‥。



The Week With A Pro
Tim Horton
ティム・ホートン編
in 2001 Michigan BASSMASTER TOUR
ティム・ホートンの名は、彼がまだ学生時代の頃からすでに知られていた。
アラバマ州ピクウィックレイクのフィッシングガイドとして休日を過ごしていた当時のホートンのもとにはプロコンペティターたちからも情報を求める電話が掛かってきた。
そして、トップ150(現バスマスターツアー)に新人として参戦した2年前(1999-2000)、全7試合中3試合をシングル入賞で飾り(1回の優勝を含む)、最終戦を前に早々とアングラー・オブ・ザ・イヤーを獲得するというB.A.S.S.史上初めての快挙を成し遂げてしまったのである。
ホートンは間違いなく今もっとも注目を集めている若手の1人と言えるだろう。


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8/21, 0fficial Practice Day 3
「もう1尾か2尾、ビッグフィッシュを穫れてれば、かなりよかったんだけど……。
この試合のカギは3から4Lbクラスのビッグフィッシュを1日に最低3尾穫ることだろうね。
もし1日に3尾穫ったら、あとは2尾釣るだけでいい。
そうなれば入賞が見えてくる。
だけど、もし1尾もビッグフィッシュを穫れなければ、厄介なことになるだろうね」。


 ティム・ホートンはプリプラクティスなしで試合に臨んでいた。一般的に言って、ホートンのようなストラクチャーフィッシャーマン(地形をねらうタイプ)の場合、パターンを煮詰め、戦略を決定するために必要な時間は、カバーフィッシャーマンよりも多くなるのが普通である。しかし、ホートンは2年前の試合で同じ時期のセントクレアを一度釣っており(結果は計66Lb9ozで6位)、今年6月に開催されたFLW戦(84位)にもスポットで出場していた。情報という点に関しては、もうすでに充分すぎるくらいの情報を持っていた。オフリミットの前にわざわざやってきてプリプラクティスを行なわなければならないほどの必要性はなかったのである。

 「プラクティスの初日はセントクレアリバーを中心に釣った。プラクティスでの釣果をそのまま試合で期待することはできないけど、その日は5尾で17~18Lbは釣ったと思う」。

 湖の北面に流れ込むセントクレアリバーは、2年前の試合でホートンがメインにした場所だった。上流にあたるヒューロン湖と下流のレイク・セントクレアを結ぶ全長約72kmの河川で、深いチャネル(最深部で50ft)と強いカレントが特徴となっている。過去の試合で蓄えた豊富なストラクチャーの情報を有効に利用するという意味では、まったく理に適っていた。

 「興味深いのは、2年前のように他のボートをたくさん見かけなかったってことなんだ。前回はどこへ行ってもボートだらけだったんだけど、少なくとも初日のプラクティスの時は他のボートをほとんど見かけなかった。実はセントクレアリバーが今年はあまりよくないって噂もあったから、皆が敬遠したのかもしれない」。

 2日目のプラクティスはエリー湖からデトロイトリバーにかけてのチェックを行なった。ビッグウエイトの可能性が最も高い場所として、ホートンはエリー湖のことが気になっていたが、これまでほとんど行ったことがなかったため、そのポテンシャルを計る上でも、一度チェックしておくべきだろうと考えたのである。

 「でも、ちょうど風が吹いてしまってね。ひどく荒れていて、しっかり釣り込むことができなかった。エリー湖をチェックするべき日ではなかったね。失敗したよ」。

 しかし、だからといってそれ以上の深追いをするつもりはなかった。もともと、初日にあれほどの手応えがなければ、エリー湖へ行くこともなかったはずであり、結局のところ、本気でエリー湖をメインエリアにしようとは思っていなかったようだ。

 したがって、最後のプラクティスでやるべきことはひとつしかなかった。もう一度セントクレアリバーヘ行き、初日に釣ったスポットを再確認することと、初日に回りきれなかったスポットを釣ってみることである。試合で時間を無駄にしないように、細かな最終チェックをしておくのだ。

 プラン通りにセントクレアリバーに向かったプラクティス最終日、ホートンは数カ所のスポットを回り、4Lb半クラス2尾を含む計8尾のキーパーをキャッチした。推定ウエイトは15Lb。気になっていた他のボートも、初日同様、ほとんど見かけることがなかった。決して悪くはない結果だった。

 「他のアングラーの話を聞いている限りでは、今回の試合は2年前よりも全体的にウエイトが落ちると思うんだ。前回は毎日18Lbを持ってこなければトップ10に残れなかったけど、今回はもしかすると毎日15Lbでもトップ10に残れるかもしれない。目標は1日16~18Lbだけどね」。



DAY 1: 14Lb10oz(5/0) 19位
DAY 2: 9Lb10oz(5/0) 計24Lb4oz 43位


8/23, Day 2
エンジントラブルで朝の貴重な2時間半を失ったホートンはもはやまともな精神状態ではなかった。
「小さいの5尾だけだ」と、帰着したホートンは呟いた。
「4パウンダーをバラした。でも、とにかくスタートで蹟いてしまった。元に戻すのは難しいよ。かなりね……。
だけど、なんとかリミットは揃えたから、まだ挽回できるかもしれない」。


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photo by OGA

 それは試合2日目の朝だった。私はプレスボートに乗り込み、ホートンがいるセントクレアリバーの中流域を目指していた。すべてのコンテンダーがスタートを完了してから30分が経過しようとしていたため、ホートンはすでにエリアに到着し、釣りを開始しているはずだった。私はついでに他のコンテンダーたちの様子を確認しようと思い、遠回りとなるセントクレア・カットオフをあえて通ってセントクレアリバーを遡った。

 ちょうどミドルチャネルとの分岐点にあたるラッセル島を左手に見ていた時だった。白と青のプロクラフトがショアラインの近くに浮いているのが目に入った。それは間違いなくホートンだったが、私はなぜ彼がそこにいるのか一瞬分からなかった。が、次の瞬間、トリムを上げ、後部デッキに膝をついているホートンの姿を見て、異変に気付いた。マシントラブルだった。

 「エンジンが急に止まってしまった。イグニッションも回らない。ミドルチャネルのボートランプまで曳航してくれないか」。

 ホートンは努めて冷静さを保とうとしていたが、焦っていることは誰の目にも明らかだった。後部デッキには工具箱と予備のヒューズが散乱していた。それを見て、私もピンときた。

 実は初日にも、ホートンのエンジンは止まっていたのである。その時は幸いにも近くを釣っていた他のコンテンダーの助けを借りて、約30分ほどでスペアボートに乗り換えることができた。メカニッククルーはトラブルの原因を特定できず、新しいヒューズを取り付けるだけの応急措置しか行なわなかった。そのことと2日目の朝のトラブルが無関係でないことは明白だった。ホートンはやり場のない怒りをどうにか押さえ込み、トーナメントディレクターにスペアボートの手配を要請した。

 しかし、ボートランプヘの曳航に約1時間を要した上に、スペアボートが到着するまでさらに1時間を待たねばならなかった。ライブウェルがまったく空の状態で、ホートンは朝の貴重な2時間半を失ってしまったのである。

 ホートンの初日の成績は19位(14Lb10oz)。2日目の結果しだいでトップ10入りを充分にねらえる位置にいただけに、精神面での動揺が懸念された。



正統派ストラクチャーフィッシャーマン

 ホートンがセントクレアリバーで行なっていたのは、いわゆるドリフティングと呼ばれる釣り方である。ねらいたいスポットの上流から川の流れに乗せてボートをドリフトさせ、ドラッギング状態でスポットを探っていくというメソッドである。

 セントクレアリバーの場合、カレントの速さは見ため以上に速く、時速にして1.5~1.8kmほどある。つまり、300mのストレッチを約10分で流しきってしまう計算だ。

 ホートンは同じスポットを何度となく繰り返しドリフトして丁寧に探った。一度流し終えると、エンジンで再びスポットの上流へ移動して、同じライン(コース)をドラッギングするのである。

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ひと流し終えて再び上流へ移動。

 驚いたのは、ホートンが岸よりのファーストブレイクではなく、水深が25ft以上もあるような、チャネルの最深部に一番近いディープ寄りのストラクチャーを意識的にねらっていたことだった。セントクレアリバーや、その下流部のセントクレア・カットオフ、サウスチャネル、ミドルチャネルなどを釣るコンテンダーは決して少なくなかったが、その大部分はバンクのシャロー(水深3~4ft)とそれに続く10ftまでのドロップオフを釣っていた。ホートンのように約1kmほどもある川幅の真ん中で、チャネルマーカーのすぐ横をドリフティングしているボートは皆無といってよかった。

 私は過去にホートンと同船したこともあったし、別のボートから彼の釣りを観察したこともあったが、考えてみると、それらはいつもシャローを釣っている時だった(春のサイトフィッシングなど)。今回、セントクレアリバーでの彼の釣りを間近に見て、ティム・ホートンというコンペティターが評判通りのストラクチャーフィッシャーマンであることを再認識させられた。

  「魚がシャロー志向になる春とか、増水時とか、どうしてもシャローを打つ必要がある時は別だけど、それ以外は基本的にストラクチャーの釣りを戦略の中心に置くことが多い。おそらく、これはフィッシングガイドをしていたからだと思う。フリッピングとかスピナーベイトといったシャロー力バーをねらうタイプの釣りはガイドトリップには向かないんだ。技術力というのは客によって違うからね。全員が正確なキャストをできるとは限らない。その点、ディープストラクチャーの釣りは、ガイドが正確にボートをポジショニングすれば、たとえ初心者でも魚を釣ることができる。いつの間にか、ストラクチャーフィッシングのスタイルが身に付いてしまったんだろう」。

 しかし、そうした目に見えない何かをねらうホートンのフィッシングスタイルは、明らかに彼の持ち味となっている。素晴らしいのは、シャローフィッシャーマンとしての実力もしっかり兼ね備えているという点である。

 しかも、同じストラクチャーフィッシャーマンの代表であるデビッド・フリッツのように、ひとつの釣り方(たとえばディープクランキンとか)に専門化しているわけではないので、季節やフィールド、あるいはコンディションによるムラがない。極めてバーサタイルなのである。その意味で、ホートンはマーク・デイビスとよく似ている。デイビスがやはりそうであるように、ホートンもまた、いつアングラー・オブ・ザ・イヤーを獲っても不思議ではない希有な才能と言えるだろう。



2日めの悪夢について

 2日目のメカニカルトラブルの後、ホートンはやはりいつもの落ち着きを失ってしまったようだった。もっとも、あのようなアクシデントの直後に冷静さを保てというほうが土台無理な話なのだが……。

 「あの後は精神的に完全に崩れてしまった。リラックスしようとしてもできなかったし……。失った2時間半の遅れを挽回しようと思うと焦りが出てきて、早く5尾釣らなければという思考パターンに陥ってしまったんだ。焦れば焦るほど、魚は釣れなくなってしまう。初日とまったく同じスポットを釣っているのにもかかわらず、コンディションが悪くなっているわけではないのにもかかわらず、どんどんバイトが遠ざかっていく。最悪の展開だよ」。

 結局、ホートンが2日目のウェイインに持ち込むことができたのは9Lb10oz(約4,366 g)だけだった。順位は一気に43位まで落ちてしまった。

 9Lb10ozというウエイトに関して言えば、本来なら15Lb以上のウェイトをねらえただけに残念と言う他ないが、ポジティブに考えるなら、あの事件の後でよくリミットを揃えることができたとも言える。3日目の巻き返しにつなげるという意味では、最低限必要なウエイトは確保したといったところ。最悪のシナリオはなんとか避けることができた。



猛チャージを見せた3日目
8/24, Day 3
この日、ホートンは猛チャージを見せた。
16Lb2ozをキャッチしてトータルウエイトを40Lb6ozとしたのだ。
その結果、最終成績は22位。
あと2Lb9ozあれば、決勝進出を果たすことができるウエイトだった。


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川の中央に近いディープを釣るホートンの真横を外洋クラスの大型タンカーが通過する。
photo by OGA

 悪夢から一夜明けた3日目、ホートンは猛チャージを見せた。実に朝の約3時間で早くも推定15Lbのリミットをライブウェルに入れていたのである。同船していたアマチュアに至っては、ホートンを超える推定17Lbをキャッチしてさえいた。もちろん、エリアやパターンを変えたわけではなかった。初日、2日目と同様に、セントクレアリバーの中流域のディープストラクチャーを、ドリフティングによるチューブジグのドラッギングパターンで攻めていたのだ。

 しかし、コンディションはたしかに変わっていた。だが、ホートンがねらっていた魚に関しては、それらの変化が大きな影響を及ぼしているとは考えにくかったことも事実である。

 ホートンが釣っていたのは、時速約1.5kmの強力なカレントで水が流れている大きな河川であり、しかも、その中の水深25ft以上という極めてディーブなボトムストラクチャーがターゲットである。風向きによるカレントの強弱はメインレイクやマウス部分ほど大きなファクターとはなりえないし、天候の影響もシャローよりは少ない。そして、ホートンがねらっていた魚は、まだフォールパターンに移行しきっていないディーブのビッグフィッシュである。したがって試合初日から3日目まで、条件的な変化はほとんどなかったはずなのである。

 それでは、3日目の快進撃の理由はいったい何だったのだろうか。

 意外な感じもするが、最大の理由はモーニングバイトをきっちりと穫ることができたという点にあった。

 「ここだけに限ったことじゃないけど、特にクリアウォーターでは、空が一気に明るくなる時間帯というのは、たしかに食いが立つ。バスの餌となる小魚や小さな生物たちが、まだ活発に活動している時間だからね。特に大きな魚というのは、その時間帯をねらって集中的に捕食活動を行なっているように思える」。

 そう考えると、2日目のメカニカルトラブルは二重の意味でその日の釣果に影響を与えたのだと言えるだろう。ひとつはホートンの精神面に与える影響、そして、もうひとつは朝の貴重な時間帯を失ってしまったというより直接的な影響である。モーニングバイトの重要さをホートン自身がよく知っているだけに、余計、精神面で崩れてしまったという側面もあったに違いない。いわゆる悪循環というやつだ。

 いすれにせよ、3日目のホートンは16Lb2oz(約7,314g)をウエイインする猛チャージによって、22位までジャンプアップすることに成功した。トータルウエイトは40Lb6oz(約18,314g)。10位のビル・ウィルコックスが42Lb15ozだったことを考えると、ホートンはわずか2Lb9ozの差でシングル入賞(決勝進出)を逃したことになる。

 仮に、この2Lb9ozという差を2日目のウエイト(9Lb10oz)に足してみると、12Lb3ozという数字になる。初日と3日目のウエイトがよかっただけに、あのトラブルがなければ………と思わざるをえない。

 「22位という成績は嬉しいよ」と、ホートンは苦笑いした。「トーナメントが始まる前はトップ10入りできるほどのパターンを自分が持っているとは思っていなかったけど、試合が進むにつれて、そのチャンスはあったんだなと実感したよ。もしも2日目のエンジントラブルがなければなんて言い訳するつもりはないけど、あの失われた2時間半があれば、少なくとも2Lbは追加できたんじゃないかと思う‥‥」。

 ホートンは「少なくとも2Lb」と控えめに語ったが、それが4Lbあるいは6Lbであった可能性は否定できない。初日の故障時に修理を完全に行なわなかったメカニックに対して腹立たしい気持ちを覚える。

 しかし、何はともあれ、22位という成績は決して悲観するべきものではない。来年のパスマスターズ・クラシック出場やアングラー・オブ・ザ・イヤー獲得に向けて、ホートンがいいスタートを切ったことは確かである。

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メインタックルは2セット。チューブジグ用のスピニング(シェークスピア7ftMH)とキャロライナリグ用のベイト(シェークスピア7ftMH)。ミディアムヘビークラスのスピニングロッドは日本ではまず見かけない代物。チューブジグとキャロライナリグの両方に、リバーサイドの4inチューブを使用。ジグヘッドの重さは1/4oz。
photo by OGA

DAY 3: 16Lb2oz 計40Lb6oz
最終順位22位
獲得賞金:3,500ドル




【あとがき】
 今あらためて記事を読み返すと、プロトーナメント運営組織としてのB.A.S.S.の質も、おそらくこの頃がピークだったんだなぁということが分かる。記事中にティム・ホートンがエンジントラブルで動けなくなり、スペアボートが届くまで2時間半も待たなければならなかったとあるが、現在のエリートシリーズの感覚で言うなら、「スペアボートがあるだけまだマシ」ということになる。これは冗談でもなんでもなくて、ここ数年のエリートシリーズでは、選手たちがトラブル時に乗り換えられる公式スペアボートは1艇も用意されていないのだ。

 実際、先日のエリート第5戦(2001年5月ジョージア州ウエストポイントレイク)でも、こんなことがあった。試合の2日目、私がカメラボートに乗り込んでメインレイクを移動していると、デビッド・ウォーカーが湖のド真ん中でエレキを踏んでいるのを見かけた。ハンプなどあるはずがないメインレイクチャネルで何をしているのだろうと不思議に思ったのだが、自分は他の選手を探していたこともあり、そのまま通り過ぎた。試合後に判明したのは、朝イチでエンジントラブルに見舞われたウォーカーが、スペアボートもない、メカニックも来てくれないという八方塞がりの中で、仕方なくエレキで動ける範囲で釣りを続けていたという事実だった。自分が湖上で見た光景は、メインレイクを何とかエレキだけで対岸に渡ろうと試みていたウォーカーの姿だったのである。

 修理という選択肢はなかったのか?と疑問に思うかもしれないが、エンジンを修理するには近くのボートランプからボートを上げて、ウエイイン会場のサービスヤードに戻る必要があると言われたらしく、となると、すでに釣っていたライブウェルの中の魚を逃がさなければならない。そもそも、ウォーカーはレンジャー&エビンルードというB.A.S.S.との縁が切れているボートに乗っているため、サービスヤードには肝心のメカニックもいない状況。他メーカーのメカニックにしてみると、わざわざ湖上まで駆けつけて全力で修理しなければならない義務はたしかになかった。

 しかし、これがはたしてアメリカで最高峰とされるプロシリーズのあるべき姿なのかと問えば、答えはもちろんノーだろう。B.A.S.S.の求心力の低下はいよいよ深刻な状況になっているように見える。ESPNの手を離れ、新体制となった新生B.A.S.S.がかつての輝きを再び取り戻せるのかどうか。まずはもうすぐ発表されるであろう来期のニュースに注目したい。

 さて、本稿を含め最近アップした計3本の記事が、2001年8月のツアー第1戦(セントクレア戦)のレポートすべてということになるが、実を言うと、もう1本まだどこにも発表していない「レポート」が存在する。それはこの取材時にメモ代わりとして自分が撮影していたビデオで、当時立ち上げを考えていたウェブサイトでの動画配信用にテストとして制作したもの。編集も終えていたのだが、ウェブサイトを立ち上げるという企画自体が以前書いたようにポシャってしまったため、このビデオもお蔵入りになっていた。次回の更新では、このビデオを紹介したいと思う。

01年12月号:桐山孝太郎@ツアー2001-02第1戦

【まえがき】
 桐山孝太郎は98年からウエスタン・インビテーショナルに参戦し始め、2000年のシカゴでのクラシックに初出場。同年8月からトップ150シリーズに参戦。2年目の開幕戦となる2001年8月のレイクセントクレア戦で、プロシリーズ初のトップ10フィニッシュを決めた。

 本稿はその2001年8月のレイクセントクレア戦をレポートした前回の記事「01年12月号:ツアー2001-02第1戦レイクセントクレア」の第二部であり、桐山選手をフィーチャーしている。プロシリーズにおける日本人選手の決勝進出は当時まだ珍しく、本編とは別枠を取って紹介した。



桐山孝太郎
バスマスターツアー初のトップ10入り!

バスマスターツアー(旧トップ150)参戦2シーズン目を迎えた桐山孝太郎がついに自己初となる決勝進出(トップ10入り)を果たした。
桐山はこれまでウエスタン・インビーショナルなど西部地区のトーナメントを中心に上位入賞を果たしてきたが、ナショナルレベルのプロたちがしのぎを削るバスマスターツアーでの決勝進出は今回が初めて。
今後の試合における活躍にも期待が集まる。

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「片道3時間もかかってしまった」という桐山の戦略とは・・・

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2日目のウェイインで、桐山は思わず拳を突き上げた。19Lbジャストのリミットはこの日のトップウェイト。
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 「行くしかないでしょう」。

 3日目を7位で終え、バスマスターツアーにおける初の決勝進出を決めた桐山は、早くも翌日のプランについて思いを巡らせていた。〈行くしかない〉場所。それはもちろんエリー湖のことだった。

  「でも北風だったら、エリーの入り口がよくなるから、遠く行かないで、そっちでやろうかなと思って」。

  決勝の戦い方について冷静に状況を分析する桐山を見ていると、初めてトップ10入りを果たしたアングラーだとはとても信じられなかった。緊張している様子は微塵も感じられず、それどころか、トップ10に入ったことを颯々と楽しんでいるようにも見えた。しかし、決勝進出を決めるまでの3日間は、桐山にとって決して楽な道程ではなかった。

  桐山はエリー湖に2ヵ所のエリアを持っていた。ひとつはショアラインから数マイル離れた湖の沖に位置する島周り。もうひとつはデトロイトリバーがエリー湖に流れ込むマウス部分である。

  そのうち、沖の島周りは判断の難しいエリアだった。そこではごく短時間で20Lbのビッグリミットを揃えることさえ夢ではなかったが、もしも湖が荒れた場合には、そこに辿り着くこと自体が困難になるはずであり、最悪の場合、漂流や遭難といったアクシデントも考えられた。また、たとえデッドカームの時でも、往復の移動には3時間半をみておく必要があった。もちろん、多少でも湖が荒れれば、移動時間はさらに増大していく。

  もうひとつのエリアであるデトロイトリバーのマウスについては、少なくとも移動に関する心配はなかったが、肝心のウェイトはそれほど期待できず1日15Lbがマックスだった。万一、試合が1日18Lb前後のヘビーウエイト戦になった場合には、上位入賞のチャンスは確実に遠ざかるはずだった。そこで桐山は、とりあえずマウスエリアを基本戦略に据えた上で、天候の隙に乗じて沖の島周りまで走り、プラスアルファのウエイトアップを計るという戦略をとることにした。

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決勝では、タフコンディションに合わせてドロップショットリグを主体に使用した。ドロップショット(ダウンショット)リグでメインに使用したベイトは、ロボの4inシェイカーとレイクポリスのクロステールシャッドの2つ。

 8Lb11oz(3尾)、93位タイという平凡な結果で終わった初日は、朝から吹き荒れた強い南風が桐山の行く手を阻んだ。沖の島周りに行けないことは朝の時点で明らかだったが、マウスエリアで必要以上に無駄な時間を過ごしてしまったのも事実だった。南風が吹いた結果、デトロイトリバーから流れ込むカレントが止まってしまい、本来付くはずのスポットからスモールマウスが動いてしまったのである。

 初日を93位で終わり、後がなくなった桐山は、2日目、大きな賭けに出た。思い切って沖の島周りへ向かい、初日の遅れを一気に挽回しようと考えたのである。だが、2日目もまたエリー湖は荒れていた。この日、セントクレア方面では風はほとんど吹いていなかったが、約70km南に位置するエリー湖はまったく別の世界になっていたようである。依然として南風が吹くエリー湖は、はるか沖から次々に押し寄せる巨大なウネリによって、海のような激しさを見せていた。

 しかし、桐山としては、だからといって諦めるわけにはいかなかった。南風が吹いている以上、どっちみちマウスエリアには期待できないことを初日の結果が教えていた。ウネリを越えて沖を目指すしか、ビッグウエイトをねらえる方法はなかった。

 「結局、行きだけで3時間もかかっちゃった(笑)。そのうち、エリーに入ってからたった数マイル進むのに2時間以上。アマチュアは完全に怯えてましたョ。申し訳ないと思ったけど、仕方ないなと」。

 しかし、その勇気と苦労は報われた。実際に釣りをしたのは2時間程度にすぎなかったが、キャッチしたリミットは2日目のヘビエストウエイトとなる19Lbに及んだ。これによって桐山は一気に22位まで急浮上し、トップ10入りの足がかりをつかむことに成功したのである。

 2日目の朝、あの状況下であえてエリー湖の沖を目指した桐山の決断力は、コンペティターの資質とは何なのかを明確に示唆しているように思えてならない。どうも今後の桐山の戦いぶりから目が離せなくなりそうだ。

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決勝ではリミットを達成することができず、順位を落として9位を最終成績とした。桐山にとってはバスマスターツアーにおける初のシングルである。
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DAY 1:93位 8Lb11oz(3尾)
DAY 2:22位 19Lb0oz(5尾) 計27Lb11oz
DAY 3:7位 15Lb9oz(5尾) 計43Lb4oz
DAY 4:9位 11Lb10oz(4尾) 計54Lb14oz
獲得賞金 $7,000




【あとがき】

 決勝の日、自分は桐山選手のスキーターに乗り込んだ。B.A.S.S.を買収したばかりのESPNは試合現場での番組収録がまだ今ほど本格的ではなかったため、決勝日に同船取材する選手をほぼ自由に選ぶことができたのだ。このあたりの背景については、おそらく次回の記事のあとがきでまとめて書くことになると思うが、とにかく、この2001年8月の段階では、決勝の日にファイナリストと同船取材するという選択肢がまだ存在していたわけである。

 本文中にも書かれている通り、桐山選手はエリー湖にエリアを持っていた。決勝の日も、朝イチからエリー湖を目指したのだが、この時のスタート後の「走り」がなかなか凄かった。

 決勝に残った10人のうち、バンダムやゲーリー・クライン、スコット・ルークらもエリー湖にエリアを持っていたが、他にもトム・バーンズとビル・ウィルコックスの二人がデトロイトリバーを釣っていたため、スタート後、実に計6艇が南へ向けてプレーニングに入った。結構な北風と白波。セントクレア北西岸のスタート地点から南(デトロイトリバー方向)へ向かうには、高い追い波を越えていかなければならなかったが、そこに抜きつ抜かれつのデッドヒートが加わった。バンダムとクラインはプロの中でも操船の荒さで知られているのだが、桐山のそれもまた負けておらず、後ろから強引に追い抜きを掛けてきたバンダムを指差し、「コイツら、狂ってるネ!」と叫びながら、そのバンダムを抜き返そうとさえした。なにしろ、ただでさえ白波立つ追い波の中を進んで行かねばならないのに、船団の後方に回るほど他船の引き波まで加わり、まともに走れなくなるのだ。桐山選手の負けん気の強さを自分はその時初めて知った。

 日本人アングラーがアメリカのプロシリーズで戦い抜くために必要な条件のひとつこそ、「負けん気の強さ」だと自分は思っている。アメリカという異国で、選手はおろかスタッフもスポンサー関係者もほぼ全員が白人という世界で、マネージャーやコーチの助けもなく、たったひとりで戦わなければならないのである。精神的なタフさが何にも増して重要な資質であることは疑問を差し挟む余地もない。

 去る4月下旬にアメリカ南部を襲った竜巻群による被害の様子はおそらくご覧になった方も多いだろう。実はアラバマ州バーミンガム近郊にある桐山選手の自宅も竜巻のため屋根が飛んでしまったそうだ。付近には基礎しか残っていない家も多かったらしい。それだけでもたいへんな災難であるわけだが、その前週にはなんと路上で追突事故に遭ったという。しかも、追突して来た車のドライバーは無保険だったらしく、治療や車の修理には自分の保険を使わなければならなかった。桐山選手はそんな自身の不運続きを「前厄でコレってことは、本厄はどうなんの?」と笑い飛ばしていたが、恐ろしくタフなメンタルを持つ桐山選手のこと、きっと乗り越えるだろうと確信している。

01年12月号:ツアー2001-02第1戦レイクセントクレア

【まえがき】
 今回の『Basser』過去記事アーカイブは、2001年12月号(No.120)に掲載したB.A.S.S.ツアー2001-2002シーズン第1戦のレポート。スモールマウスレイクとして知られるミシガン州レイク・セントクレアを舞台に、晩夏の8月下旬に開催された試合である。そう、この頃はまだクラシックが夏の開催で、シーズン開幕がその後の8月下旬からというスケジュールだったのだ。

 2001年というと、ESPNによるB.A.S.S.買収が正式に成立したのが同年4月。すなわち、この2001年8月のセントクレア戦は、ESPNによる新体制の下でシーズンインを迎えた初めてのプロシリーズという意味合いがあった。実際、この年の5月まで「トップ150」と呼ばれていたプロシリーズは、8月の新シーズンから「ツアー」と改称され、ESPN主導によるB.A.S.S.の本格的な改造計画がスタートしたのである。

 あれからちょうど10年・・・。

 そのESPNは溜め込んだ赤字に耐えきれずついにB.A.S.S.を手放し、一方、再び独立企業体として再出発することになったB.A.S.S.は新たな経営陣の下で次に進むべき道を模索中である・・・。

 そんな今(2011年の5月下旬)、あらためて10年前の試合レポートを振り返ってみると、実にいろいろなことが見えてくる。まずは記事を読んでいただき、その後で解説を加えてみたい。

 なお、本稿は計28ページに渡る大作のためw

本編16ページ
桐山孝太郎編4ページ
ティム・ホートン編8ページ


の3部に分けてアップする。今日はまず、本編の16ページ分を掲載しよう。



バスマスターツアー2001-2002第1戦
ミシガン州レイクセントクレア
2001年8月22日~25日

「デイビー・ハイト 最終日の大逆転劇」
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バスマスターズクラシックの余韻に浸る間もなく、B.A.S.S.の2001-2002シーズンが始まった。
米国スポーツTVネットワークESPN主導による新体制の下、「トップ150」は「バスマスターツアー」として生まれ変わり、その第1戦がミシガン州レイクセントクレアで開催された。
新しいシーズンの幕開けを飾り、優勝賞金11万ドル(約13,200,000円)を手にしたのは、決勝で大逆転に成功したデイビー・ハイトだった・・・。
今期もまた現地完全生取材で本場の迫力をお届けしよう。



トーナメントウォーター「レイクセントクレア」を分析する
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レイク・セントクレアとレイクエリー西域。2つを結ぶのはデトロイトリバー。

 夏のレイク・セントクレア戦はバスマスター、FLWを通じてここ数年の定番となっており、2年に1度のペースで6月から8月にかけて両方のトーナメントが決まって開催されている。ざっと過去の試合を振り返ってみよう。

 セントクレアにおける最初のブロトーナメントは1994年8月のトップ100戦であったが、この時は地元ミシガン州在住のキム・ストリッカーが61Lb15oz(約28,094g、4日間)で優勝している。その後、4年間のブランクを経て、1999年の夏にはFLWとトップ150の2試合が開催されており、6月のFLWをフロリダのピーター・スリベロスが、8月のトップ150をラリー・ニクソンがそれぞれ優勝している。

 面白いのは、6月のFLW戦の際、2位から4位までがすべて地元であるミシガン州出身のブロで独占されたことである。ちなみに、そのうちの2位はケビン・バンダム(ミシガン州出身)。3位はアート・ファーガソン(ミシガン州出身で、セントクレアでガイドもしている)である。ほぼスモールマウスしかいない上に、水質がとびきりのクリアウォーターというある意味で特殊なフィールドであるため、地元出身者ならではの情報力と慣れが有利に働いたわけである。といっても、結局、優勝したのはフロリダのスリベロスであり、2位のバンダムにしても、3位のファーガソンにしても、ただ単に地元の利点があったことだけが上位入賞の理由ではないのは言うまでもない。

 それは、セントクレア戦におけるラリ一・ニクソン(アーカンソー州出身)の圧倒的な強さという事実によっても証明することができるかもしれない。ニクソンが1999年8月のトップ150戦で優勝していることはすでに触れたが、実は、それに先立つ6月のFLW戦では5位に入っており、さらには、今年(2001年)6月のFLW戦においても優勝を決めているのである。すなわち、セントクレアで開催された過去4回のトーナメントのうち、2回を優勝、1回を5位入賞でフィニッシュしているわけである。この強さは尋常ではない。

 しかも、さらに細かく調べていくと、2回の優勝はそれぞれまったく別の場所をメインエリアとする戦略によって勝ち獲ったものであることに驚かされる。

 1999年のトップ150で優勝した際のメインエリアは、セントクレア本湖を縦断する大型貨物船用航路(セントクレア・カットオフと呼ばれる)のディープドロップオフで、湖の南部に位置していたのだが、2001年のFLW戦で優勝した際のメインエリアは湖の北部に位置するセントクレアリバーのチャネル沖だった。このことが何を意味しているかというと、ニクソンは常に魚が沸いているようなハ二ースポット(もしそのような場所があるとして)に頼った釣りをしているのではなく、各試合ごとにしっかり魚を見つけているということである。当たり前と言えば当たり前のことだが、その誰もが行なっている当たり前のことをしながらこれだけの成績を残しているのだから、やはりラリー・ニクソンの強さは尋常ではない。

 今回のセントクレア戦を取材するにあたり、私は当然ながらニクソンに注目していた。もしやセントクレア戦3度目の優勝というシナリオもありえるのではないかとも考えていたくらいだ。そして、結果は予想通りのものとなった。ニクソンは安定したウエイトを持ち込み続け、3日目にはトーナメントリーダーとなり、優勝にリーチを掛けた状態で決勝に臨んだ。しかし、決勝で待っていたのはまさかの逆転劇。優勝はダークホース的な存在だったデイビー・ハイトが勝ち取った。だが、あわや優勝というニクソンの活躍はセントクレアにおける圧倒的な強さを印象づけるのには充分すぎるほどのものだったと言えるだろう。

 そして、他にも、ケビン・バンダムやピーター・スリベロス、キム・ストリッカーなど、上位陣には下馬評通りのプロの名が連なった。ある意味で、これまでに行なわれたセントクレアでのトーナメントの総決算のような試合だったと言える。

 それでは早速、初日から順に試合の模様を追っていこう。



DAY 1
初日のトップウエイトはケニヨン・ヒル19Lb1oz。
1日15Lb平均が決勝進出の必要条件に!

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初日、ケニヨン・ヒルが持ち込んだブロンズ色のリミット19Lb1oz(約8,647g)はセントクレアというフィールドが持つポテンシャルを証明するビッグウエイトたった。
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 初日は低気圧の接近に伴い、時速20マイル以上の強い南風が吹いた(アメリカでは風力を秒速ではなく、時速で表す。時速20マイルはおよそ秒速9m)。セントクレアのような円形をした平地の巨大湖の場合、どの方角から風が吹いても、ショアライン以外に風裏というものは存在しない。したがって、ひとたび風が吹くと、風向きに関係なく、湖上はどこも荒れてしまう。しかし、ことセントクレアに関して言えば、風が吹いた場合に多くのプロたちが気を揉むのはむしろ、ラフウォーターそのものが及ぼす移動時間の増大や釣りにくさといった2次的な影響ではなく、動きの速いスモールマウスの行動に直接関係してくる風向きのほうである。

 湖を縦断するディープチャネルを除けば、レイク・セントクレアの大部分は17ft程度の水深しかない。その巨大フラットウォーターとも見れる各所に無数のハンプやシャローフラット、あるいはそれに続くドロップオフといった何らかのボトムストラクチャーが散らばっており、スモールマウスはこうしたストラクチャーと常に関係しながら行動し、風向きによって変動する潮流に対応して実に素早くポジショニングを変えていく。動きの速さでは定評のあるスモールマウスだが、ここセントクレアでは、風の影響を受けやすいフラットウォーターが大部分を占めるだけに、よりディープでストラクチャーの変化に富んだリザーバーなどよりも、風向きが及ぼす影響は比較にならないほど大きいのである。

 この点において、南風というのは最悪の風向きと言ってよかった。というのも、上流にあたるヒューロン湖からのカレントは湖の北東端に位置するセントクレアリバーから流れ込み、南西端のデドロイトリバーヘと流れ出している。湖流はこの北東からの強力なカレントと常に連動しているのである。したがって、南から強い風が吹くと、大部分のエリアでこのカレントが弱められるか、あるいは場所によっては完全に止まってしまう。その時にスモールマウスがどう反応するのか。コンテンダーたちにとっては、それが最大の懸案になる。

 初日に19Lb1oz(約8,647g)というスーパーウエイト(信じがたいことだが、5尾ともすべてスモールマウスである。この湖ではラージマウスよりスモールマウスのほうが平均個体重量が重いのだ)を叩き出してトーナメントリーダーとなったケニヨン・ヒル(オクラホマ州出身)は、この日の南風を最も巧くかわし、味方につけたコンテンダーだったと言えるだろう。ヒルの戦略はウイードの点在する水深4~5ftのシャローフラットをスピナーベイトのバーニングメソッド(速引き)で広くカバーしていくというオーソドックスなものだった。同じパターンは他にも多くのコンテンダーたちが行なっていたはずである。では、なぜヒルだけが爆発的なウエイトを持ち帰ることに成功したのか。その秘密はどうやらヒルが釣っていたエリアにあったようだ。

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レイク・セントクレア北部。サウスチャネルから南西に走る線はカナダとの国境だ。

 ヒルのエリアは、湖の北端部、ミドルチャネルのマウス一帯に広がる広大なシャローフラットだった。ヒューロン湖からのカレントを運ぶセントクレアリバーは湖に流れ込む直前で4本の独立したチャネルに枝分かれする。それらのうち、中央を流れているのがミドルチャネルで、北側にはノースチャネルが、南側にはサウスチャネルが並ぶ(サウスチャネルのすぐ南隣には大型船舶用の人工チャネル「セントクレア・カットオフ」が併走する)。

 ヒルが釣ったミドルチャネル沖のシャローフラットは、サウスチャネルのマウス沖に伸びたシーウェイ島によって南側が閉ざされた格好になっており、試合当日は南の風が完全にブロックされていた。すなわち、そのエリアだけがまったくのウインドプロテクトとなり、セントクレアリバーから流れ込むカレントが弱まることなく供給されたのである。

 本来、枝分かれした4本のチャネルのうち、最もカレントが強いのは一番南側を走るセントクレア・カットオフとその北を流れるサウスチャネルなのだが、これらは強い南風をまともに受けてしまうため、カレントが相殺されてしまった。はっきりと断定することはできないが、カットオフ周辺域のカレントが急激に弱まった結果、それを嫌ったスモールマウスのスクールが、唯一力強いカレントを供給していたミドルチャネル周辺に集結したという見方も可能だろう。スモールマウスはそれだけの足の速さを持った魚だと思う。

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過去のセントクレア戦で優勝実績のある2人は、ラリー・ニクソン18位(写真左)、キム・ストリッカー8位(写真右)と下馬評通りの好調なスタートを切った。ニクソンのエリアは不明だったが、ストリッカーは彼のウイニングエリアでもあるセントクレアリバー内で目撃した。
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DAY 2
スモールマウスを得意とするチップ・ハリソンが1位に急浮上!
3位にはラリー・ニクソンが・・・。

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2日目のリーダーは17Lb14oz(約8,108g)を追加して初日の9位(15Lb13oz)から浮上したインディアナ州出身のチップ・ハリソン。
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 2日目は一転して風が弱まり、風向きも北に変わった(一方、70km以上南に位置するエリー湖方面では、朝のうちは依然として強い南風が吹いていたという報告がある)。天候は曇りで、午後に入ってから晴れ始め、それと同時に風も完全に収まった。初日に比べてコンディションがぐっと安定したことによって、2日目はリミット達成率が上昇し、平均ウエイトも幾分上がった。湖流を相殺する南風という要素が消えたために、本来のカレントが湖に戻ったものと考えられる。

 しかし、この日、一気に順位を上げてきたのは、セントクレアを釣っていたコンテンダーたちではなく、はるか南のビッグレイク、エリー湖までロングドライブを試みたコンテンダーたちだった。

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 たとえば、初日の16Lb10oz(約7,541g)に続いて、この日16Lb5oz(約7,399g)と安定したウエイトをキャッチし、5位から2位に浮上したスコット・ルーク。彼はウエイイン後のインタビューで2日間ともエリー湖で過ごしたことを隠さずに教えてくれたが、エリー湖にある自分のスポットまで辿り着くのに両日とも2時間以上を要したとも語っていた。

 「エリーのスポットまでは55マイル(約88km)の距離なんだけど、昨日や今日の朝みたいに7ttクラスのウネリがあると、移動に掛かる時間は倍どころじゃきかない。その分だけ釣りをできる時間が減るからね。明日はまた風が吹くみたいだけど、なんとかリミットを揃えるのに充分な時間が残るように祈るだけだよ」。

 初日の22位(13Lb14oz)から4位へと一気にジャンプアップしたケビン・ワースもまたエリー湖にエリアを絞り込んでいたコンテンダーのひとりである。ケンタッキー州出身でスモールマウスの釣りを得意とするワースは、2年前に比べてフィッシングプレッシャーが高まっていると同時に、プロたちによるエリアの解析が進んでいるセントクレア本湖を見切り、移動時間などのリスクを承知であえてエリー湖での勝負に賭けたようだ。ワースが2日目に持ち込んだ18Lb4oz(約8,278g)のリミットはもちろんすべてスモールマウスであり、徹底したディープストラクチャーねらいのパターンでキャッチしたということだった。

 この他にも、2日目の段階では明かしていなかったものの、7位のゲーリー・クラインや8位に急浮上してきたケビン・バンダムなども、実はエリー湖を釣っていたことが後の話から判明している。

 このように遠く離れたエリー湖(スタート地点のメトロビーチ州立公園からセントクレアの南端までが約40km、セントクレアとエリー湖を結ぶデトロイトリバーの全長が約27km)をあえてメインエリアとするコンテンダーが増え、しかも彼らが上位に進出した背景には、ケビン・ワースが語ったように、2年前の試合と比べて格段にセントクレアのフィッシングプレッシャーが高まっていることが挙げられる。フィッシングプレッシャーが高まったことによって、勝負のカギを握る4Lbクラスをキャッチできる確率が下がってしまい、勝ちを意識すればするほど、プレッシャーの低いエリー湖でビッグフィッシュに的を絞った戦略を選ぶ必要がでてきたのである。

 だが、これは今回のようなスモールマウスがメインとなる試合ならではの特殊な例だと言えるだろう。6Lb以上の個体数が絶対的に少ないスモールマウスの場合、ラージマウスをターゲットにする試合のように、1日だけのビッグリミットで逃げ切ったり、あるいは逆転したりという展開はまずありえない。したがって、スモールマウスしかねらえないフィールドでの試合では、それなりの個体数が見込める3~4Lbクラス(スモールマウスとしてはビッグフィッシュに当たるサイズ)で毎日リミットを揃えるという展開が最強ということになる。つまり、言い換えれば、そのクラスの魚がプレッシャーなどの理由で釣りにくくなっているエリアでは、試合に勝つことは難しいのである。

 そして、2日目にその最強の展開を成功させたのは、なんと桐山孝太郎だった。詳しくは後のページで紹介しよう。

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写真左から2位のスコット・ルーク、3位のラリー・ニクソン、4位のケビン・ワース。驚くべきことに、ニクソンがまたしても上位に進出してきた。まさかのセントクレア戦3勝というシナリオが一気に現実味を帯びてきた。ニクソンがどのエリアにいるのか、2日目の段階では不明だったが、過去の優勝エリアでないことだけは確かだった。
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2日目のリーダー、チップ・ハリソンをミドルチャネルに発見。

 初日15Lb13oz(約7,172g)、2日目17Lb14oz(約8,108g)と安定したビッグウエイトをキャッチし続けたチップ・ハリソンは、2位に12oz差をつけて2日目のトーナメントリーダーになった、ハリソンはインディアナ州出身のアングラーであることから、セントクレアのようなクリアレイクでのスモールマウスの釣りをそもそも得意としていたが、プラクティス中の釣果は意外にも悲惨なものだった。

 「3日間で6尾しか釣れなかったんだ」。ハリソンは自嘲気味に笑った。「ところが、プラクティス最終日の午後に入ってから、あるエリアを見つけた。スピナーベイトですぐに2Lb半が食ってきて、続けて4Lbクラスをキャッチした。で、それ以上叩かずに翌日の試合のためにセーブした。もちろん、初日は朝からそこへ直行したよ」。

 その結果が初日の15Lb13ozだった。驚いたことに、ハリソンは朝の小1時間で早くもそのウエイトをキャッチしていた。

 「ファーストキャストで5尾くらいの4パウンダーがチェイスしてくるのが見えたんだ」と、ハリソン。最高のスタートを切ったハリソンはその後、翌日以降に備えて一帯をプラクティスしたという。

 「なんせ、その1ヵ所しか持っていなかったからね。ちょっと不安だった」。

 しかし、2日目は初日を上回る17Lb14ozというビッグウエイトを追加した。試合中にねらいうる最大限のビッグフィッシュ(3~4Lb)でリミットを揃えるというスモールマウスの必勝法を、ハリソンはまさしく実践していたわけである。

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注)バックシートのアマチュアアングラー(コ・アングラー)がネットでランディングを手伝う光景というのも、当時ならでは。1999~2002年はB.A.S.S.の歴史の中で例外的にネットの使用が認められた。

 ハリソンのエリアは湖から数マイル上流へ遡ったミドルチャネル内にあった。チャネルの水深は30ftほどあり、ショアラインから30mほどのあたりで急なドロップオフとなっている。その奥は水深3ftのシャローフラットである。シャローには白い砂底の上に所々ウイードパッチが点在しているのが遠くからでも確認できた。ハリソンはドロップオフのやや沖側にボートをポジショニングして、カレントに流されないようエレクトリックモーターをコントロールしながら、少しずつ上流に流していった。

 釣り方はシャローフラット上のウイードパッチをスビナーベイト(ニコルズ・44マグナム3/4oz。カラーはブレードを含めてチャートリュース)とポッパー(レーベル・ホップR)でねらうというものだったが、他にも、セントクレアの定番であるチューブジグ(チューブのジグヘッドリグ。ハリソンが使用していたのはニコルズ・ソルティーマザーチューブ3.5in。カラーはグリー
ンパンプキンwithゴールドフレーク)でドロップエッジ(水深3ftから9ftにかけて)を探るというフィネスも同時進行していった。このあたりの器用さに、スモールマウス慣れした巧さが感じられる。

 「風向きによってカレントの強さに多少の違いが出だのは確かだけど、相当な数の魚が集まっていたんだと思う。リミットを揃えるのに苦労はしなかったよ」。

 おそらく、釣っていたのが南風の影響をほとんど受けないミドルチャネルであったというのも成功の理由のひとつだったに違いない。というのも、セントクレア・カットオフやサウスチャネルでまったく同じパターンを行なっていたコンテンダーたち(ジェイ・イエラスやキム・ストリッカーなど多数)は、ハリソンが体験したような、4Lbクラスが群れでチェイスしてくるよ
うな場面には遭遇していないし、実際の釣果もハリソンほど決定的なものではなかったからである。

 「明日(3日目)も5尾釣る自信はある。プラクティスの時点では、まさか自分がトーナメントをリードすることになるとは思ってもみなかったけどね。今はかなりの自信を持っているよ」。



DAY 3
またしてもラリー・ニクソンが!
はたしてセントクレア戦を再び征するのか!

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ラリー・ニクソンの活躍は2年前のトップ150戦を思い起こさせるものだった。
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 3日目を終えてリーダーの座についたのはなんとラリー・ニクソンだった。この日、持ち込んだウエイトは17Lb8oz(約7,938g)。ニクソンは初日を14Lb11oz(約6,662g)でスタートしていたが、2日目に17Lb14oz(約8,108g)とウエイトを上げ、3位の位置につけていた。3日目のウエイトは、その勢いに拍車をかけたと言っていいだろう。これによって、3日間のトータルは50Lb1oz(約22,708g)となり、2位との間には1Lb6ozの差が開く結果となった。1Lb6ozの差は決して大差とは言えなかったが、何はともあれ、ニクソンはセントクレア戦3勝という脅威の領域を目指して決勝に進出することになった。

 「昨日(2日目)までは正直言って自信がなかったんだ。今回のエリアは今までに釣ったことがない場所だし、エリアの特性上、安定した結果を期待することはできないって分かっていたからね。でも、今日の釣りで自信が得られたよ。明日もやれる気がする。ただ、明日の決勝では18Lb持ってきたのでは足りないと思うね。誰かが20Lb釣ってきたら終わりだよ」。

 ニクソンはあえて名前を挙げなかったが、彼の言う「誰か」が2位に浮上したデイビー・ハイトであることは間違いなかった。私としても本当のところを言うと、3日目を終えるまで、ハイトはまったくのノーマークだった。2年前のバスマスターズクラシックを優勝して以来、ハイトはずっとスランプ状態が続いていた。まさかそのハイト(サウスキャロライナ州出身)が、しかもスモールマウスがターゲットとなるセントクレアで優勝に絡むアングラーになるとは思ってもいなかったのである。3日目の成績が出揃い、ハイトが今回の試合でビッグウェイトを誰よりも安定してウェイインし続けているという事実に気付き、1Lb6oz差でニクソンに迫っている現実を知った後でも、ハイトが優勝するシナリオはニクソンの自滅以外にはありえないだろうと考えていた。しかし、ハイト自身は逆転優勝を実現させる強いコンフィデンスを実は持っていたのである。

 「チャンスはあると思うんだ。試合が始まる前は、毎日リミットを揃えられるかどうかが何より気掛かりだった。見つけたエリアでクオリティーフィッシュをねらえることは分かっていたんだけど、はたして数が揃うのか心配だった。でも、蓋を開けてみたら、現にこうして3日間リミットを揃えている。だから、明日(決勝)も5尾釣ることができれば、優勝するチャンスはあると思っているよ」。

 ハイトのエリアは国境を越えたカナダ内にあるようだった。詳しいパターンの内容はまだ明かされなかったが、シャローをスピナーベイトとソフトジャークベイト中心で釣っているとだけ教えてくれた。

 3位のスポットにはエリー湖を釣っているスコット・ルークが入った。ルークはこの日、エンジントラブルで約半分の時間を失ってしまったが、トラブルに見舞われる前にキャッチしていた14Lb7oz(約6,549g)のリミットに救われ、前日から順位を1つ落としただけの軽傷で最終日に駒を進めることに成功した。

 4位に入ったのはやはりエリー湖を釣っているゲーリー・クラインだった。

 「この試合はニクソンが勝つだろうね。今の自分のウエイトから彼を抜くのは非常に難しい。今日自分が持ち込んだリミットに5パウンダーを2尾混ぜることができれば、可能性はあるけどね(笑)」。

 2日目のリーダー、チップ・ハリソンはこの日11Lb14oz(約5,386g)とウエイトを落とし、5位まで順位を下げた。

 「今日は1/2ozのジグヘッドがすぐに流されてしまうくらいカレントが強かった。北東風に変わったために、カレントに勢いがついたんだと思う。結局、あの場所でリミットを揃えることはできなかった。幸い、本湖に移動して別のパターンを見つけたんで、なんとか切り抜けることができた」。

 6位には、沖のハンプをクランクベイトで釣ったピーター・スリベロスが入ってきた。2年前のFLW戦を優勝しているだけに、納得の結果である。

 そして、7位には桐山孝太郎が入った。2日目のトップウエイトを叩き出した桐山はこの日、再びエリー湖へ走って15Lb9oz(約7,059g)を追加し、自己初となるバスマスターツアー(旧トップ150)での決勝進出を果たした。

 以下、8位は3日間ラージマウスだけをウエイインしたトム・バーンズ。9位はエリー湖を釣ったケビン・バンダム。10位はデトロイトリバー内を釣ったビル・ウィルコックスが入った。こうして決勝に進出した10名を顔ぶれをあらためて眺めると、下馬評に名前の挙がっていたプロが少なからず含まれていることに驚かされる。

2001_stclair_day3_top10
決勝に駒を進めた上位10名の顔ぶれ。桐山孝太郎の姿もある。
photo by OGA

 決勝日の予報は晴れ。時速20マイル近い東風が吹くとも予報されていた。まさかの大逆転劇が現実のものとなった決勝。ニクソンにいったい何が起きたのか……。



360度の水平線。
ラリー・ニクソンはメインレイクのド真ん中にいた。

 私がラリー・ニクソンの釣りを見たのは3日目だった。ニクソンがどこにいるのかは2日目を終えた段階では謎であり、3位に急浮上したニクソンをTVクルーが追いかける必要に迫られた3日目の朝になって初めて、その場所が明らかにされた。早速、情報を入手した私はプレスボートに乗り込み、ニクソンの航跡を追ったわけだが、そのエリアは実に予想だにしない、とんでもない場所にあった。

 360度の水平線に囲まれたレイク・セントクレアのほぼド真ん中。ショアラインの影はおろか、他のボートさえ見当たらないまったくの無名水域に、ラリー・ニクソンのストラトスは波に翻弄されながらボツリと浮いていた。

2001_stclair_day3 nixon
目印となるものは何もない。約50m問隔で打った2湖のマーカーブイが頼りなげに浮いていた。

 魚探で調べても、特にストラクチャーがあるわけでもなく、水深17ftのフラットがどこまでも続いているように見える。ニクソンは3日目のインタビューのなかで、「今日になってようやくエリアに対する自信が得られた」と語ったが、たしかに、この漠然と広がるフラットウォーターに対して自信を持つには、それなりの時間が必要になるだろう。

 ニクソンが使っていたのはチューブジグだった。1/4ozヘッドをメインに、強風のコンディションでは3/4ozヘッドも使ったという。使い方はズル引きに不規則なホッピングを加えたもの。釣り方に特別な秘密があるわけではない。

 「たしかに、あそこはただの広大なフラットだよ(笑)。でも、ほんの一角だけイールグラスに似た細長いウイードが生えているんだ。密度がとても薄いし、100 m四方の狭い範囲だから、ちょっとソナーをかけただけでは気付かない。だけど、スモールマウスはそこに集まってくるんだ。プラクティスでは、もちろん、過去に実績のあった場所もチェックしてみた。でも、どこもプレッシャーで漬れてしまっていた。だから、とにかく新しい場所、まだ誰も知らない場所を見つけなくてはならなかった」。

 またしてもラリー・ニクソンの底力を思い知らされた………



FINAL DAY
デイビー・ハイト優勝!!
新しいシーズンの幕開けを飾ったのは、
1999年のクラシック優勝後、不調に喘いでいたデイビー・ハイトだった。

2001_stclair_day4_hite
photo by OGA

 最終日のウエイインステージヘ向かうニクソンの足取りは重かった。この日、例のフラットから魚の気配はすっかり消えていた。ネクストキャストに期待しながら時間が経過していくうちに戦略を変更するキッカケを失い、スモールフィッシュを3尾キャッチしただけでストップフィッシングの時刻を迎えてしまったのである。

 もともとここでのバイトが散発的だったことを考えると、たとえ2時間ノーバイトが続いたとしても、大きく戦略を変更する理由にはならない。なぜなら、次の1投で4Lbフィッシュがバイトする可能性を完全に否定することができないからである。しかし、何らかの要因によって足の速いスモールマウスがあのフラットから突然姿を消してしまうこともまた充分に起こりえる展開だった。

2001_stclair_day4_nixon
3日目まで安定したウエイトを持ち込んでいただけに、ニクソンの失速に人々は目を疑った。
photo by OGA

 一方、2位のポジションから逆転をねらっていたデイビー・ハイトは、それ以上ない最高のスタートを切っていた。朝一番でハイトが向かったのは、セントクレアリバー内にあるシャローバンクだった。ハイトにとって、そこは最低限のウエイトを稼ぐための単なるバックアップエリアにすぎなかったが、開始からわずか20分の間に、4パウンダーを含む4尾のキーパーをキャッチすることに成功。精神的な余裕を持ってメインエリアに向かうことができた。

 ハイトのメインエリアは湖の北東部、カナダ領内にあった。岬状に伸びた水深3~6ftの広大なフラットには、パッチ状のウイードが豊富に点在しており、フォールパターンに移行しつつあるこの時期のスモールマウスを呼び寄せる最適の条件を備えていた。メインに使用したのは1/2 ozホグコーラースピナーベイト(ゴールドのコロラドウイロー、シャッドカラー)とギャンブラー・ジャンピングシャッドの2つ。

 驚くのは、朝8時の段階で、ハイトが早くも推定14Lbのリミットをライブウェルに収めていたということである。つまり、ハイトはすでにこの時点で優勝を決めてしまっていたのである。ハイトがウエイインした19Lb6oz(約8,788g)というビッグウエイトは、仮にニクソンが17Lb15ozを持ち帰ったとしても逆転に成功してしまうほど圧倒的なものだった。

2001_stclair_day4 standing




【あとがき】
 優勝したデイビー・ハイトのメインエリアというのは、セントクレア・カットオフより東側に位置する、セントクレアリバーの分流が注ぎ込むシャローフラットだった。水深3~6ftのグラスフラットにスモールマウスのスクールが入ってくるという状況は、日本のバサーにはなかなか実感が湧きにくいかもしれない。しかも、使うルアーはスピナーベイトとソフトジャーク。似たような状況では、他にポッパー等のトップウォーターを使う選手も多かった。ドロップショットを使えば食うとか、そういう話ではなく、スクールをいかに見つけるかというむしろハンティングに近い世界。

 当時、自分にはウイニングエリアやウイニングパターンをどこまでディスクローズするべきか(事実をどこまで詳細に明かすべきか)という部分に迷いがあり、試合によっては意図的に濁した書き方をしていた。というのも、ESPN以前の「The Bassmaster(TV番組)」は具体的なスポットを明かしたりはしていなかったし、当時はまだ試合結果の詳細を毎日レポートする専門ウェブサイトも存在していなかったからだ。

 日本人選手が徐々に成績を出し始める中で、日本の専門誌にレポートを書く記者として、アメリカの選手に対する「フェアネス(公平さ)」を意識せざるをえない場面が度々あったのは事実。日本の雑誌に詳細な記事を掲載することが図らずも日本人選手への情報提供につながってしまう以上、ウイニングエリアの位置などを具体的に記すことにはやはり抵抗があった。また、日本人選手サイドとしても、雑誌で上位陣のスポットが紹介されてしまえば、次の機会にその場所へ行きにくくなり、結果的に戦略の幅が狭められることも考えられた。そんな諸事情から、読者にとって必ずしも必要とは思われない過剰な詳細は書くべきではないというのが自分の考えであった。

 しかしながら、やがてESPNが番組内で上位者のスポットを地図まで使って細かく紹介し始めるようになり、そうした気遣いもまったく意味のないものになってしまった・・・

 ちなみに、このセントクレア戦の最終日(決勝)、自分は7位でファイナル進出を果たした桐山選手に同船していた。その時の記事は次回にアップする予定だ。

 最後にもう一点。この2001年8月下旬のセントクレア戦に関して、どうしても触れておかねばならないことがある。それは、このセントクレア戦が「セプテンバー・イレブン」の前に開催された最後のトーナメントであったという点だ。

 8月25日にセントクレア戦の取材を終えた自分は、その後、ニューヨーク州のレイクシャンプレインに入った。シャンプレインでは9月12日からFLWチャンピオンシップが行われる予定だった。翌週には同じNY州セントローレンスリバーでバスマスターツアー第2戦も予定されていた。FLWチャンピオンシップのほうは完全な中止となり、ツアー第2戦は12月のフロリダに代えられた。あの「セプテンバー・イレブン」という事件がアメリカのプロツアーに及ぼした直接的な影響は、ちょうどNY州で予定されていたそれら2つの試合がキャンセルされたこと。ただそれだけだったと、少なくともデータの上ではそういうことになるだろう。

 しかし、現実には、あの日を境にアメリカのトーナメントは大きく変わった。正確には、トーナメントが変わったのではなく、アメリカという国が、そしてアメリカに住む人々があの凄惨な事件の生々しい記憶から逃れられなくなってしまったのだ。

 その意味において、2001年8月下旬という「事件」の直前に図らずも開催されたこのレイクセントクレア戦は、かつての古き良き時代の終焉を象徴する試合でもあったのだと言えるかもしれない・・・。
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